と、言っても「図書館」は別です(笑)



「返してよ」

こと「本」に関してはこの言葉がとっても言いにくいのは何故なんでしょうか。

お金もそうかも知れないが「貸したことがない」ので分からん。(借りてばっかり)

レコードなんかは強く「返せよ!」と言ってきたのに、本はどうも言いにくいのです。

これって何だろうね~



唐突のこのネタは先日朝刊の「悩み相談」に出ていたからです。

(貸した本が返ってこない友人との付き合いをやめたいのですが・・・)という

女性からの投書相談でした。

(んなこと 自分で決めろよ)といつもの調子で朝刊につぶやいたのですが、

後で思い返すと、若い頃似たような経験がありました。のでした私にも。



こいつは「本は買わずに借りるもの」と決めていたオトコでしたね。

他にはバカみたいなカネを使うくせに、「本」には渋かった。

何でしょうね、この価値観というか性格はどこに由来するのでしょうか。

付き合いをやめる前に聞いておけばよかったと、この投書を読んで思いましたよ。



そうです。私はこのオトコとの付き合いをやめました。

貸していた本は彼にくれてやりました。

「返してよ」はついに言えなかったわけです。

でも、そのことはずっと私の引き出しに隠れていただけで、忘れていたのではなかった。

この投書が「鍵」となって引き出しが開けられたのでした。

彼の顔も、声も、貸した本の表紙も、分かれた頃の時代の空気も引き出しにありました。



本のことは「きっかけ」に過ぎず、この「心の引き出し」があったことが新鮮な発見です。

たくさんの人と出会い、たくさんのことをしてきて、たくさんの思い出がこのように

カラダのどこかに「ねむっている」のでしょうね。

自分では「鍵」を持ってないけれど、何かの拍子に引出しが開いて「飛び出してくる」。

(まだまだ感性は捨てたモンじゃない)と何だかうれしくなってしまいました。



いろんなことの「刺激」を心とカラダに取り込む作業が自然にできているうちは

たぶん「大丈夫」なんでしょう。何が「大丈夫」なのかは定義できないけどね・・・






投書の回答はこうでした・・・回答者は作家のD氏

「貸してあげる本に自分の名前を書いておくとよいですよ」

そうか~ そうだったのか~ 

でもね「本に名前を書き込む」なんて「無粋なこと」はできませんな あたしゃ。