毎年クリスマスになると祖父を思い出す。明日26日が命日だからだ。

祖父は昭和50年に亡くなった。

我が家で唯一自宅の畳の上で大往生した人だった。



祖父には自称「霊気」というものがあり、これは祖母も同じだったが、聞いた話では

若い頃に「霊気の先生」から体内に入れてもらったのだという。

両手の平を拝むように合わせ、その両手の指先を先生が右手で上から握ると霊気が

送られるのだそうだ。

その効果は私たち孫にとっては文字通り「手当て」となって現れていた。と思っている。

頭痛は額を押さえ、腹痛は腹を押さえ、キズには掌を傷口に当てて5分ほど手当てを

していると、不思議に痛みも消えてスッキリする。キズの血も止まったのだった。



おばあちゃん子の私はおねだりしてこの霊気を入れてもらった。

と言っても、子供の頃のお遊びだと思っていたのだが・・・



25の時、職場の仲間が包丁でザックリと指を切ったことがあって大量の血を出した。

騒ぐ彼を見かねて(え~い ままよ!)と右手掌で祖父母がやったように握ってみた。

5分経って確認したら、血は止まり、傷口はうっすらとくっついていた。

(これは入れてもらった霊気に違いない)

若かったので頭から信じ、思い込んだのだった。



さてさて、思い込みのチカラは素晴らしい!

その後はコトあるごとに自分の霊気を信じて「手当て」をしてみると悉く効果あり!

頭痛・腹痛・便秘・生理通・しもやけ・軽い切り傷あたりは完璧であった。



この年になって確信したことがある。

それは「手当て」という言葉の存在だ。

この言葉の由来こそ「人が生まれつき持っている気」のことに他ならない。

その昔、自然と共生していた本来の動物としての人間が持っていたチカラだ。

自己治癒力もここに起因しているはずだ。

文化の発展進化と共に「脱ケモノ」に進化(退化かも)した結果、人は医学やクスリに

頼る「無個性・無味乾燥・無臭」の均一集合に収束してきたのではないか。



Cureさんが書かれているように「自分で直そう(治そう)という内からの意志」無くして

人間本来の健康体には戻れないのではないだろうか。

これも「気」のチカラ、直感能と言い換えてもいい。

自分との対話が日常化していると、(!)やら(?)は自ずと内からやってくる。

祖父は明らかに「おむかえ」を知っていた。前夜と当日朝の言動が物語っていた。

私もまた己の変化には「おしらせ」がやってくるようだ。

おかげで大事故や大病・大怪我には無縁の人生を送れている。と思っている。



自分という「不思議な宇宙」に興味を持てば、脳はいろいろな答えをくれる。

五感にも、思考にも、あるべき姿のヒントは必ず見えるような気がする。

これが、オリジナリティ、ID、つまり「個性」なのではないか。



ONRY ONE という自負・矜持、これが生きる「キモ」だと思うがなあ。