その昔、完成前の環八をクルマで石神井まで通勤していたころ、平和台に近い交差点角に

大きなマンションが建ち、1階に「チャイナロード近日オープン」の張り紙が出た。

チャイナロードは当時のダイエー中内社長肝いりの中華ファミレスで、横須賀1号店に次ぐ

期待の2号店だったらしく、設備や設計・造作にもかなりの金をかけていた。



「新規開店」「中華」「オープンキッチン」

この3拍子揃った誘惑には勝てず、土日夜の「パート」で私はキッチンに入った。

「新規開店」「ターキッシュ」「顔見世」の誘惑みたいなものだ(わかるひとだけ)



さて、経験者の私は年齢もあって、ガラス張りの鍋前ポジションをもらえた。

中内さんの意向を反映しての設計は、入店した客が必ずこのガラスに面した通路を通るように

なっていた。もちろん帰りにもである。

それは「料理を作っているところを客に見せる」という演出だったらしいが、

当時のファミレスでは画期的なコトであったはずだ。



この思惑が当り、店はオープンから行列の盛況だった。

土地柄だろうか土日夜は子供連れが多く、ガラスの向こうから顔を覗かせて鍋を見る

子供たちの瞳がなんともうれしかった。

折角の設計だから(子供たちに鍋の火柱を見せてやろう)と考えた私は「回鍋肉」の時だけ

大げさな火を立てて驚かしてやった。もちろんコツはある。が、ポイントは かまど だ。

おかげでと言うか、土日の夜だけ「ホイコー」の注文が多く、店長も不思議そうだった。

関係者には鍋の火など当たり前であり、ホールの彼らにはガラス前の子供の瞳は見えない。

これは 私と子供たち との密かなアソビだったと思っている。



さてさて、この懐古自慢話のオチは? というと・・・

調子に乗って立てた火がダクトの油汚れに引火して鍋の上が火事になり大目玉をくらったこと。

以後火柱禁止!=子供素通り=味気なくなった。

そして何よりダイエーグループの凋落である。

中内氏の後退に伴って店も強制閉鎖、チャイナロードは世間から消えた。

バーミヤンの一人勝ちになってしまったのである。



おまけにここだけの話・・・開店当初、各テーブルに「お客様アンケート」なるハガキが

常備してあり、これを回収して店長会議にかけ、声を反映するというCSもどきを実行していた。

もちろん現場のスタッフと店長が真っ先にそれを読む。

その中に、近隣の小学2年生男児自筆のハガキがあった。そこには・・・


「こっくさんの火がすごかった。びっくりした。おいしかった。
 ぼくも こっくさんになりたいと おもいました」


このハガキは失敬して自宅に持ち帰った。

そこには住所も名前も電話も書いてあった(粗品狙いの親自筆)

そして後年、当時のバイトくんから この少年が調理畑に入ったこと を聞いた。

出来過ぎた話のようだが、まことに「事実は小説より奇なり」である。

バイトくんも引っ越して音信普通となったので少年のその後は知らない。が、

縁があれば「彼の料理を食べる」機会が来るのではないか・・・そう思っている。



「一食一会」  接客の魅力はそこに尽きる