渋滞のメッカ134号をノロノロと走りながら、家人は左の海を、私は右の豪邸群を見る。

みな一様にオーシャンビューのテラスを作り、リビングは全面ガラス仕様であるな。

(こいつらは「日本沈没」を観てない世代だな)と一人決め付ける。



橋を渡り江ノ島へ入ると、どこの「P」も「満」の表示。

どん衝きの公営まで行ってやっと駐車。夜9時までの一日料金¥670也。

駐車場を囲う塀の上には「臨海回廊テラス」ができていたが客はゼロだ。

はるか昔小学校の頃、毎年夏休みには父親の会社が持っていた「鵠沼保養所」に泊まり

水のきれいな海で泳ぎ、江ノ島の奥の岩場でカニを獲った記憶がある。

無音の8ミリフィルムに映っていた岩場がこのテラスの下にあるはずだ。

観光地に変身したい思いが開発という名目で景観を破壊していくのだろう。




島に渡る橋の途中で気になっていた大きな円柱形の建物まで歩いて行くと・・・

そこはなんと「スパ」になっていた。日帰り温泉+プール+グルメというアレである。

(江ノ島よ おまえもか)

何とも場違いな様相を呈している。感覚的に例えるなら、できたての「目黒エンペラー」だ。

正面のこの場所は言わば江ノ島の「顔」である。

橋を渡りながら見える風景、正面には神社へと続く急な坂があり、左には海産物の土産屋、

右は古い木造の旅館「二見館」が構える。これが江ノ島のはずだった。



スパの隣にある土産屋の主人に聞いてみた。

「ここは古い旅館がありましたよね」

「ええ、二見館ね」

「いつごろまであったのですか」

「6年前くらいかな。そのあとがコレだよ」とスパを見るその表情はウンザリ顔だった。

こっちも少しウンザリ感に襲われたが、25年経てば浦島太郎になるのも仕方ないか。



目の前で焼く「しょうゆ+バター」の臭いに誘われて海鮮食堂に足が止まるが

ここが悩みどころだ。

(ビールなしで貝を食うか)(呑んでしばらく時間を潰すか)

高速回転のアタマで時間と酔いと今後の運転疲労を計算する。

(えいっ! 呑むぞ!) しょうゆの焼ける臭いには勝てなかった。日本人だね。

喫煙は表でというので外のテーブルにつき「ホタテ」「しらすかき揚げ」で一杯。

ウンザリも吹き飛んだところで「焼きはまぐりも食べたい」とお願いするが

「貝2品で¥3000はとんでもない!」と却下される。



呑んじゃった以上これが醒めるまで時間を潰さなければならない。

参道坂道をのらりくらりと見て廻ったのだが、左右に点在する「土産の店」はここでも

「外人仕様」の「和モノ」オンパレードだったので再びウンザリする。

唯一の救いは昔もあった「遊技場」だけだ。

懐かしい「射的」と「スマートボール」が残っていた。

コルクにツバをつけて身を乗り出し、お菓子の箱の目の前で撃ち落す、そんな父親の姿を

思い出し、25年前、小さな倅の前で同じように「ビスコ」を撃ち落した自分を顧みる。



懐古しだすと止まらない病の私に呆れて「おみやげを見てくるから」と家人は坂道を上り、

私は酔い醒ましのためスパの横にあるテラスへ。

黒一色になった海と対岸の夜景を眺めながら思いは昭和30年代へスリップする。


緑とオレンジの湘南電車

駅弁と陶器のお茶  冷凍みかん

ゴムの浮き輪  バックル付きベルト付きの海パン

布製の重たいパラソル  そして 30代の若い両親


ものがなく、娯楽も少ない当時の家族にとって「夏の海」は一大イベントだ。

日本がしっかりと四季を持っていたあの頃は歳時記に合わせた暮らしが確かにあった。

そして、それに添って家族家庭の思い出がしっかり残っている。

今はどうだ?

子供たちに「季節の思い出」と「家族の思い出」はちゃんとリンクしているのか?

などと思いは果てしなく展開して行く。



懐かしい~ より 寒い! が勝って現実に戻り我にかえる。

クルマのヒーターを求めて小走りに戻ると、満車だったはずの広いパーキングには

数台しか残っていなかった。風が通り抜け寒さが一段と凍みる。



何十年ぶりかで訪れた場所では、その変化が時間の経過を思わせて感慨深い。

そして必ず(昔はよかったなあ)というところに帰着する自分をみて「年」を感じる。

35年ぶりの鎌倉と25年ぶりの江ノ島、こんなに近くにあるのにこの「ごぶさた」である。

出不精ならではの発見も感慨も多かった今回のおでかけは久々のヒットだった。

そして、ブログという場を持ち、このように紀行文を書くという楽しさを発見したことも

またひとつのヒットかもしれない。

画像がないため読んでくれる方々にはクリーンヒットとはいかないだろうが、

もともとがボテボテ内野安打人生の私らしく、これはこれでカンベンしてくださいね。

ご拝読感謝!