この2週間の間にドキッとした瞬間が数回あったので投稿。

いずれも日中、私が仕事で運転しているクルマの目前で起きた同パターンである。


会社のまわりは住宅街ということもあって信号のない交差点が多い。

そして、近所には小学校、保育園があり、スーパーや小さな公園もある。

したがって、自転車で連なる「かるがも系」の母子が頻繁に往来していて

それは以前から知っていたし注意も払っていた。



先週は、たまたま出会い頭のタイミングが「危険」寄りになっていたのだろう。

交差点手前で左から「ママちゃり」がノンストップで出現した。

こっちは(スピードも落とさないで危ないなあ)とブレーキに足をかけて減速。

と、そのママのあとから小さな男の子の自転車が飛び出してきたのだ。

彼はママにおいてかれないように懸命にペダルを漕いでいて、自分の右手に

迫っている私のクルマには目もくれなかった。



おかしいでしょう?

なぜママは「クルマが来ているからね!」と声をかけないのだろうか?

まるで、クルマは停止するのが当然で、我が子に危険はない!と信じきっているか、

あるいは、クルマの進行直線と我が子の直線が交わることなど一切意識にないか、

あるいは、、コトが起きるまでな~~~んも考えていないか、どうなんだ!?




その昔、うちの子供たちが一人で自転車に乗れるようになった頃、この情況について

母親(家内)はどう考えているか話したことがあった。

つまり、「親が先」と「子が先」ではどちらが安全か ということである。



①親が先だと言う家内は、

 まずは「道を知っている」からムダに声をかける手間がない。

 後ろからちゃんとついてくるかどうかは「振り返れば」見える。

 危険な情況は「親の方が先に分かるから」子供に声をかけて注意させることができる。

 という意見でそのようにカルガモしていた。尤もである。


②子が先の友人妻の意見はこうだった。

 常に前にいるから子供の様子がよくわかる。(疲れとかふらつきとか)

 交差点や商店の手前で「タイムリーな声かけ」がしてやれる。

 「止まって!」だの「避けて!」ということだろう。

 これはこれで尤もである。



いずれにしても、当時(平成初期)の母親が「子の安全」に細心の注意を払っていた

ことは明らかだろう。つまり(あぶないかな)という想像力があったはずだ。

翻って今のヤンママはどうか?

携帯しながらの自転車

イヤホンで音楽に集中している自転車

子連れを微塵も感じさせない走行や運転動作



この夏も、私は運転中の窓は全開している。

なぜなら、前記のパターンで子供に声をかけるかもしれない「ママの声」が聞こえるからだ。

「クルマよ~~!」

これだけでもこっちはブレーキから足を下ろさない。

しかし、汗だくになりながら注意走行している私の耳にママの声は一回も聞こえなかった。

素晴らしいアホである。



クーラーガンガンの密閉した車内で携帯やナビに気を取られている営業車 と

イヤホンガンガンの自転車で携帯メールを読んでいるママちゃり が運よく(?)

交差点でぶつかったら・・・

あるいは、何事もなく、何事にも気付かないで通り過ぎたママの後ろで

我が子がその営業車に轢かれたら・・・

周りの安全を確認すべき「目」は携帯に向けられ、

聞くべき「耳」はイヤホンで塞がれているママ! あなたに書いているのです。



悲劇的事故の可能性が年々高くなっている現実は「我が身に起きるまで」分からないほど

想像力は衰退しているのか?