自慢ですが、私は心配性です。

(~だろう)と楽観するより、(~かもしれないぞ)と気になる方です。

気になるから、大丈夫なように想定範囲を広げて備えています。

それが「当たり前のこと」だと躾られてきました。


~かもしれない、~だったら、と、あれこれ考えることは、結果的に

気付き・気配り・気働き に繋がります。

これがつまり、気が利く という評価に繋がり、対人関係にも大きなプラスです。

そんなことは本当に 当たり前 のはずでした。

躾は家庭における「親の義務であり責任」だったからです。



ところが、会社でトラブルがあって、原因を辿っていくと99%は

「あとひとつの気配りが足りない」ことが発端です。


FAXで注文したものをメールでも送信している

金曜日にFAXした注文を月曜日にまた送信する

どちらも「重ねて送る」とか「再送信」など、ミス誘発を防ごうとする意志表示は皆無。


こんなことは、想像力以前の「常識の範疇」ではないのか。

私らの世代の常識を「原点=ゼロ」と考えて、今の周りと接していると

(こいつらゼロ以下、マイナスだ) となるわけですね。


マイナス人間にならないようにと厳しく躾られた身には、マイナスの心など

理解できない。幼児や児童ならともかく、こいつら家庭人だよ!



心配していないから、人が心配している内容も理解できないのだ。

つまり、お互いに理解できないところで同じ皿に乗っているわけです。

これではビジネスのコミュニケーションなど採りようがない。



叱ってくれる人と付き合わないとマイナスが増えるだけだぞ。