発信者
「ちゃんとやれよ!」
「ちゃんとやらないとダメだよ」
「ちゃんとやってくださいね」
対比する受信者の反応
①「・・・・」
②「やってますよっ!」
③「わかりました」または「はい」
これは文字ではなく対峙して発言した時の相手の反応(実体験より)であり、
おおむねこの反応が多いのではないかと想像する。
①は、叱られた、あるいは、ちゃんとやっているのに言われたこと自体にまず反応する。
②は、「ダメだ」という否定の言葉を投げられたことにまず反応する。
③は、叱られたというより「依頼された」ことと解釈して返事はする。
しかし、コトの本質にはどれも反応していない。
この場合の本質的な問題は「ちゃんとやっていない」という現実だ。
①は、本人はちゃんとやっていると思い込んでいることが問題。
②は、否定されたことがアタマの中で一杯になっていることが問題。
③は、とりあえず「はい」と言えば済むと思い込んでいることが問題。
つまり、すべてその瞬間に(思い込み)が反応を決めているわけです。
なぜか?
目の前に相手がいるからですね。
リアルタイムを共有しているから、言われたら何か言わなければならないわけです。
で、考えるクセがない人は反応の選択肢が少ないところから、とりあえず何かを
選択して反応する。このときの拠所が(思い込み)なわけです。
なんのコトが言いたいのかおわかりですか?
ケータイのテキスト文字によるコミュニケーションの弊害です。
一番の弊害は「音声」がないこと。
①でも②でも③でも、受信者が勝手なトーンとイントネーションで自分勝手に
その文字に「音」を付けて解釈してしまうわけで、都合がいいのですね。
ダメ!すら、ソフトなダメに置き換えるから伝わるわけがない。
しかも、即返信することが最優先ですから考えてるヒマなど全くない。
ここが「考えないバカ量産」というケータイの二番目の弊害です。
いくら時間をかけて交信しても、お互いが言葉を勝手な定義で解釈しているから
本質はどんどん見えなくなっていき、文字だけが浮いているわけです。
この状態を「繋がっている」と定義しているのが若者のようです。
繋がっているのは「回線」であって、心ではない、脳みそでもない。
ここに気が付かない限り、猟奇的な事件も、わいせつな事件もなくならない。
人間に「ことば」が与えられたのは、表情を持ち、声を持ち、海馬を持っているからで、
これを使わなければヒトとしての会話は成立しません。
おはよう!
こんにちは!
ありがとう!
おめでとう!
よかったね!
がんばれ!
これらのことばがアナタの心に届いたことはきっとあるでしょう。
はるか昔のことですか? でも、何かは生まれたはずです。
心に届いた時の「ことばのチカラ」を体験できないのは本当に不幸です。
「ちゃんとやれよ!」
「ちゃんとやらないとダメだよ」
「ちゃんとやってくださいね」
対比する受信者の反応
①「・・・・」
②「やってますよっ!」
③「わかりました」または「はい」
これは文字ではなく対峙して発言した時の相手の反応(実体験より)であり、
おおむねこの反応が多いのではないかと想像する。
①は、叱られた、あるいは、ちゃんとやっているのに言われたこと自体にまず反応する。
②は、「ダメだ」という否定の言葉を投げられたことにまず反応する。
③は、叱られたというより「依頼された」ことと解釈して返事はする。
しかし、コトの本質にはどれも反応していない。
この場合の本質的な問題は「ちゃんとやっていない」という現実だ。
①は、本人はちゃんとやっていると思い込んでいることが問題。
②は、否定されたことがアタマの中で一杯になっていることが問題。
③は、とりあえず「はい」と言えば済むと思い込んでいることが問題。
つまり、すべてその瞬間に(思い込み)が反応を決めているわけです。
なぜか?
目の前に相手がいるからですね。
リアルタイムを共有しているから、言われたら何か言わなければならないわけです。
で、考えるクセがない人は反応の選択肢が少ないところから、とりあえず何かを
選択して反応する。このときの拠所が(思い込み)なわけです。
なんのコトが言いたいのかおわかりですか?
ケータイのテキスト文字によるコミュニケーションの弊害です。
一番の弊害は「音声」がないこと。
①でも②でも③でも、受信者が勝手なトーンとイントネーションで自分勝手に
その文字に「音」を付けて解釈してしまうわけで、都合がいいのですね。
ダメ!すら、ソフトなダメに置き換えるから伝わるわけがない。
しかも、即返信することが最優先ですから考えてるヒマなど全くない。
ここが「考えないバカ量産」というケータイの二番目の弊害です。
いくら時間をかけて交信しても、お互いが言葉を勝手な定義で解釈しているから
本質はどんどん見えなくなっていき、文字だけが浮いているわけです。
この状態を「繋がっている」と定義しているのが若者のようです。
繋がっているのは「回線」であって、心ではない、脳みそでもない。
ここに気が付かない限り、猟奇的な事件も、わいせつな事件もなくならない。
人間に「ことば」が与えられたのは、表情を持ち、声を持ち、海馬を持っているからで、
これを使わなければヒトとしての会話は成立しません。
おはよう!
こんにちは!
ありがとう!
おめでとう!
よかったね!
がんばれ!
これらのことばがアナタの心に届いたことはきっとあるでしょう。
はるか昔のことですか? でも、何かは生まれたはずです。
心に届いた時の「ことばのチカラ」を体験できないのは本当に不幸です。