連続ドラマの初回からスペシャルの最終回まで欠かさず観てきた者にとって
「北の国から」はエポックともいえる作品だろう。
私も子供ができてからは、五郎の視線でドラマを観ていることに気付いた。
人の有りようをここまで手間隙掛けて描いた作品は他にないだろう。

なぜ、これを書く気になったかと言うと・・・
図書館でシナリオ本を借りたからです。
TVを観てから読むと行間を映像にする作業がよく分かって興味深い。
’92「巣立ち」は五郎が瀕死の事故に遭うアレである。
前後編2夜に亘って放送された。

本を読んで驚いたのは、その量的な少なさであった。
前編は単行本1段組みシナリオ版でわずか140ページである。
後編は153ページ、通して読んでも1時間ほどだ。
しかし、これが4時間(CM込み)のTVドラマに変身する。
映像作家・演出家の手腕はここで発揮されるのだ。

原作自体が殺ぎ落とされコアだけをシナリオにしてくるから
その行間を読むだけでも2倍以上の時間がかかる。
そして、撮影にさらに時間をかけ、編集で殺ぎ落とされる。
こんな贅沢な創りのドラマがリアルタイムで観られたことは幸運であった。

今年初めて富良野に行って来た。
お決まりのコースで五郎の石の家も見てきた。
家の中にも入った。
ドラマでは写らない壁の上とか窓の枠、家の後ろ側も見られた。
シナリオの短さと同様に、そのセットの狭いことに驚いた。
カメラ・音声・演出・スタイリストなどスタッフ一同が、
その狭い中で息を潜め、固唾を飲んで撮影した苦労が見えるようだ。

倉本聰は最後まで「血の宿命」を頑なに描きつづけたと思っている。
これは都会生まれの作家に見られる一種のオマージュかも知れない。
山田太一の「ふぞろい」もそうだ。
あの決してIQの高くない若者たちを最後まで「血」で描いた。
見える人には見える
分かる人には分かる
体験した人には郷愁を
知らない人には警鐘ともなるコンセプトだと思う。

現代の作家・脚本家には無理なことだ。
コミックに頼ることのあさましさが分かってない。
テレビ界の癌は進行し続けている。