私の街の商店街は都内でも指折りの「すたれゆく」商店街らしい。
昨年、ある報道番組の特集でも「将来性ゼロ」と放送された。
住宅地域であるにもかかわらず、住民が地域の店にお金を落とさない。
隣町は学生街として有名なEで、ここには店も多く、日中のヒトも多い。
もう一方の隣町は営団が乗り入れ、都営が開通し、区内トップの地価を誇る
駅前商店街が大きく発展している。区役所もある。
この2駅に挟まれた我が街は、文字通り「置いていかれた」街である。
駅前こそ高層のマンションが群立しているが、周辺は昔からの住人が高齢になった今も
生垣や庭を持った日本家屋に住んでおり、街の景観はほとんど変化がない。
人口は明らかに増えているが、他から入居してきた人達がほとんどだから地域への
関心も愛情も余りないのだろう。
スーパーやファミレス、コンビにはそこそこ繁盛しているが、商店街の個人店は
閑古鳥が鳴いている。夜9時にはシャッターが降り、街灯のみになる。
しかも店主は押並べて高齢である。
私が子供の頃に「おじさん」だったんだから当然である。
何十年もお世話になった「おじさん・おばさん」の店がふたつ閉店した。
まことに悲しい現実だが仕方ない。
ひとつは、
キムラヤ暖簾分けのパン屋さんである。
成人した子供たちが幼稚園の時から利用していたおいしいパン屋さんだった。
ご主人が一人でパンを作り、おくさんとパートのおばさんの2人が接客していた。
余計なものを作らない、売らない、真面目な店だったので人気も高かった。
閉店の理由はカラダが辛いことと機械の老朽化である。後継者もいない。
最終日は客もおばさんたちも涙の分かれであった。私も泣きながらパンを買った。
もうひとつは、
暖簾に「湯麺」の文字を染めた中華屋さんである。
ラーメンの文字じゃないところが第一の評価であった。
ここのタンメンは絶品だった。ここ以外で(うれしいな)と思わせるタンメンには
いまだ出会ってない。
俳句と骨董が趣味のガンコオヤジと上品で美人のおくさんが、毎日のりのきいた
白いシャツで気持ちのよい仕事をしていた。
閉店の理由はオヤジの腕が腱鞘炎でナベが振れないことにあった。後継もいない。
最終日は行列だった。15人も入れば一杯の小さな店である。
おくさんは目を真っ赤にはらしての接客だったし、オヤジは痛みに顔をしかめながら
必死にナベを振っていた。
最後のタンメンは同じようにうまかった。涙と汗がどんぶりに落ち、最後は
味がわからなくなった。
時が流れるというのはこういうことだ。
振り返ったとき、その時間の長さと受けた恩の大きさに気が付く。
この恩は返せない。そういうものだ。
しかし、そのことをしっかりと覚えておくことはできる。
そしてそれを次の世代に語ることもできる。
点で終わるのではなく、線で繋げるのだ。
昔からそうやって文化と歴史が続いてきたようにね。
生活とプライドをかけた個人店の社会的貢献は計り知れないほど大きいのだ。
昨年、ある報道番組の特集でも「将来性ゼロ」と放送された。
住宅地域であるにもかかわらず、住民が地域の店にお金を落とさない。
隣町は学生街として有名なEで、ここには店も多く、日中のヒトも多い。
もう一方の隣町は営団が乗り入れ、都営が開通し、区内トップの地価を誇る
駅前商店街が大きく発展している。区役所もある。
この2駅に挟まれた我が街は、文字通り「置いていかれた」街である。
駅前こそ高層のマンションが群立しているが、周辺は昔からの住人が高齢になった今も
生垣や庭を持った日本家屋に住んでおり、街の景観はほとんど変化がない。
人口は明らかに増えているが、他から入居してきた人達がほとんどだから地域への
関心も愛情も余りないのだろう。
スーパーやファミレス、コンビにはそこそこ繁盛しているが、商店街の個人店は
閑古鳥が鳴いている。夜9時にはシャッターが降り、街灯のみになる。
しかも店主は押並べて高齢である。
私が子供の頃に「おじさん」だったんだから当然である。
何十年もお世話になった「おじさん・おばさん」の店がふたつ閉店した。
まことに悲しい現実だが仕方ない。
ひとつは、
キムラヤ暖簾分けのパン屋さんである。
成人した子供たちが幼稚園の時から利用していたおいしいパン屋さんだった。
ご主人が一人でパンを作り、おくさんとパートのおばさんの2人が接客していた。
余計なものを作らない、売らない、真面目な店だったので人気も高かった。
閉店の理由はカラダが辛いことと機械の老朽化である。後継者もいない。
最終日は客もおばさんたちも涙の分かれであった。私も泣きながらパンを買った。
もうひとつは、
暖簾に「湯麺」の文字を染めた中華屋さんである。
ラーメンの文字じゃないところが第一の評価であった。
ここのタンメンは絶品だった。ここ以外で(うれしいな)と思わせるタンメンには
いまだ出会ってない。
俳句と骨董が趣味のガンコオヤジと上品で美人のおくさんが、毎日のりのきいた
白いシャツで気持ちのよい仕事をしていた。
閉店の理由はオヤジの腕が腱鞘炎でナベが振れないことにあった。後継もいない。
最終日は行列だった。15人も入れば一杯の小さな店である。
おくさんは目を真っ赤にはらしての接客だったし、オヤジは痛みに顔をしかめながら
必死にナベを振っていた。
最後のタンメンは同じようにうまかった。涙と汗がどんぶりに落ち、最後は
味がわからなくなった。
時が流れるというのはこういうことだ。
振り返ったとき、その時間の長さと受けた恩の大きさに気が付く。
この恩は返せない。そういうものだ。
しかし、そのことをしっかりと覚えておくことはできる。
そしてそれを次の世代に語ることもできる。
点で終わるのではなく、線で繋げるのだ。
昔からそうやって文化と歴史が続いてきたようにね。
生活とプライドをかけた個人店の社会的貢献は計り知れないほど大きいのだ。