私事を話すのは恐縮なのですが、


私の卒業した高校は関西にあります



その高校の、当時は今とは違う呼称でしたが


いわゆる


【特進クラス】


に私は在籍していました



一学年10クラス以上ある中で


特進クラスはひとクラスのみでした


ですから三年間クラス替えがありません


同じクラスメイトで三年間を過ごすわけです



そして三年間同じクラスで過ごしたクラスメイトの中に


帰国子女が4人いました



4人とも幼稚園、小学校からお父さんの仕事の関係で海外で過ごし


中学校、もしくは高校生になってから帰国し


日本の学校に通い始めました



もちろん英語はネイティブです


今はどうかわかりませんが


40年前であっても


ネイティブ・イングリッシュを話す学生は


私のいた環境ではそんなに珍しい存在ではありませんでした





その中のひとりが


『科学の授業が理解できない』


と悩んでいて、


秀才揃いのクラスのメンバーで


(どうしてなんだろう❓)


と不思議に思っていて、ようよう聞いたところ


『日本語の説明ではわかりにくい』


という事でした


えっ❗️そこ⁉️


帰国子女なりの悩みがあったのですね




クラスの全員がほぼ現役で大学に進学します



大学卒業後


帰国子女の四人のうち一人は外務省に入省


一人はハワイのホテルに就職し20代でそのホテルの副社長に就任


一人は全日空の(当時はスチュワーデスと言った)CAに


もう一人の消息はわかりません



錚々たるメンバーの輝かしい経歴です



おそらく私のような高校の教員は


[落ちこぼれ]


と思われているのかもしれません(笑笑)




昨日LINEで連絡を取り合った友人も


その高校時代の三年間を共に過ごしたクラスメイトです


彼女は大学卒業後、富士銀行(現、みずほ銀行)に就職して


(たとえ女性と言えども、キャリアを積んで出世していくんだろうな)


と思っていましたら


数年後に今のご主人と出会い、


あっさりとキャリアを捨てて家庭に入りました



そんな思い切りの良いところのある人でした




(もったいない)




とは思いましたが、その後は二人のお子さんにも恵まれ


その選択には間違いはなかったのでしょう




ベビーブームに生まれた我々は


ひとクラスと言えどもちょうど50人学級


今の時代の高校のひとクラスが30〜40人であることを考えると


50人の生徒をまとめるには


担任の先生もご苦労があったことと思います




制服を着て、無邪気に笑い過ごしていた高校時代


勉強とスポーツに頑張っていた日々



そんな私たちももう還暦です



みんな


それぞれの人生を


懸命に歩んできたのです



そして


社会で働く、社会に貢献するという生活を


近々終える年齢にも差し掛かってきました



これからは


穏やかな人生が待ってくれればいい



私にも


みんなにも



そんな風に思います





昨日の友人とのLINEのやり取りを終えて


遠い昔の日々を思い出しながら眠りにつきました