「次こそは結果を出して、、、」
「今度結果が出なかったら、、、」
などという言葉はここ数年、よく耳にする言葉であり、それは例えばスポーツ選手、もしくはミュージシャン、もしくは政治家、もしくは財界人、などにマスコミがマイクを差し向けて 「明日からの抱負は?」 などと問うた場合に、 「まあなんですな。次こそは結果を出しますわ。っちゅうかね。結果が大事なんでね。」 もしくは 「次で結果が出ないとマジやべえ~って思うんでね。結果が出るようにがんばるだけです考えた結果」 とレポーターを口から先でクールに一蹴し、これまたクールに立ち去る。
で、自分はきゃつらのこの発言を随分前から耳にする度に、ちょっと待っておくんなはれ。 「結果を出す」 とはこれまたおかしな、奇奇怪怪な表現でなかろうか。と思い続けて今回それを初めて口に、否、文字にするのであるけれども、そもそも 「結果」 は 「出る」 から 「結果」 なのであって、行なわれた事象にはどのような形でも 「結果」 はおのずと勝手に自然と訪れるはずで、仮にそれらの事象の中において 「結果」 が出せない条件といういうのは、その現場の中に主観者である本人が存在しなかった場合のみの話である。
「明日は大事な仕事やねんからもう堪忍して~なあ~。寝坊して行かれへんかったら結果出されへんやんかあ~~、もお~~頼むわあ~。ほな今日はいんどきま!」
と述べるのが本当のところであるにもかかわらず、ええカッコしいの彼ら・彼女らは、 「イヤ、結果さ。明日こそ結果を出すのさ。うふふ」 とほざいてしまうのである。
っていうかもっと極端に言ってしまえば、本当のところ、その本人が居ようが居まいが、結果は事象の終了後、悲しいかな勝手に出るワケで、その場合の本人の 「結果」 は、 「寝坊で資格を失ったアホの〇〇」 としっかり 「結果」 がついてまわってくるではないかいな!トホホ。
で、結局はこの 「結果を出す」 という言葉の響きがよく解らぬまま、今日は朝から声がまったく出ない状態のワタクシは、風邪をぶり返してとってもしんどい。うくく。
「今度結果が出なかったら、、、」
などという言葉はここ数年、よく耳にする言葉であり、それは例えばスポーツ選手、もしくはミュージシャン、もしくは政治家、もしくは財界人、などにマスコミがマイクを差し向けて 「明日からの抱負は?」 などと問うた場合に、 「まあなんですな。次こそは結果を出しますわ。っちゅうかね。結果が大事なんでね。」 もしくは 「次で結果が出ないとマジやべえ~って思うんでね。結果が出るようにがんばるだけです考えた結果」 とレポーターを口から先でクールに一蹴し、これまたクールに立ち去る。
で、自分はきゃつらのこの発言を随分前から耳にする度に、ちょっと待っておくんなはれ。 「結果を出す」 とはこれまたおかしな、奇奇怪怪な表現でなかろうか。と思い続けて今回それを初めて口に、否、文字にするのであるけれども、そもそも 「結果」 は 「出る」 から 「結果」 なのであって、行なわれた事象にはどのような形でも 「結果」 はおのずと勝手に自然と訪れるはずで、仮にそれらの事象の中において 「結果」 が出せない条件といういうのは、その現場の中に主観者である本人が存在しなかった場合のみの話である。
「明日は大事な仕事やねんからもう堪忍して~なあ~。寝坊して行かれへんかったら結果出されへんやんかあ~~、もお~~頼むわあ~。ほな今日はいんどきま!」
と述べるのが本当のところであるにもかかわらず、ええカッコしいの彼ら・彼女らは、 「イヤ、結果さ。明日こそ結果を出すのさ。うふふ」 とほざいてしまうのである。
っていうかもっと極端に言ってしまえば、本当のところ、その本人が居ようが居まいが、結果は事象の終了後、悲しいかな勝手に出るワケで、その場合の本人の 「結果」 は、 「寝坊で資格を失ったアホの〇〇」 としっかり 「結果」 がついてまわってくるではないかいな!トホホ。
で、結局はこの 「結果を出す」 という言葉の響きがよく解らぬまま、今日は朝から声がまったく出ない状態のワタクシは、風邪をぶり返してとってもしんどい。うくく。