何にも束縛されず囚われず、自由に生きたいなあ、なんてことは誰でもこれ思うところであって、自由奔放、自由闊達、自由自在、フリーダム、なんて素晴らしい響きなんでありましょうや。
いいね、自由。ひゃらっほ~。
メシを食うのも自由。寝るのも自由。仕事するのも自由。人と話すのも自由。外出するのも自由。自由奔放。自由とは素晴らしい。
自由万歳。うくく。
冒頭から文体がややおかしくありましょう?
これも自由について書くにはやはり自由に書かんければと思って自由に書いてんの。おほほ。文筆の荒法師。ばはは。阿呆。
さあここらで自由奔放の象徴でもある「ほへら節」でも吟じようかと思ったのだけれど、あ、ほへら節ってえのはあれね、まったくチューニングの合ってないギター、つまりまったく調子の外れたギターをやたらめったらかき鳴らしながら、真っ赤な顔で淫語、その他公の場では決して口外できない歌詞というか単語を絶叫するっちゅうやつね。
で、調子っぱずれのギターを手にしたのだけれど、ここで自分ははたと考えた。
自由とはそれを実践することによりその実践者に無上の喜びと開放感を与えるもの、つまり「いい気持ち」にさせるモノであるワケなのだが、その「いい気持ち」になっている自分ってえのは他から見るとどうなのでありましょう。
例えば自分は腹が減ったので近隣のレストランテで食事をすることにした。店内に案内され席につくと隣の席には一組の男女のカップル。男が女をまさに口説かんとする最中なのであった。しばらくすると自分の席に料理が運ばれ、自分はそれを食し始めたのであるが、どういうワケか突如その場でほへら節が歌いたくなってきた。歌いたくて唄いたくて謡いたくて仕方ない。なればそう、自分は自由奔放。自由闊達。フリーダム!!おもむろに立ち上がりほへら節を一節。いい具合に高揚、陶酔の域に達した自分はついには隣のカップルのテーブルの上に飛び乗って淫語を連発。タブー語を高らかに歌い上げたのであった。
「いい気持ち」に浸っている自分に反し、カップルの顔はみるみる曇り、女は汚物を見るような目でこちらを見ている。もう少しで女を口説き落とせたハズの男は眼を真っ赤にし、殺意に満ち満ちた面持ちで歯ぎしりをしている。
マズイ雰囲気を察知した自分は食いかけの料理もそのままに、自由奔放に銭を支払うことなく、自由奔放に店を出たのである。
ところが自分を追いかけてくる者二名。
女と別れた男と、支払いを倒されたレストランテの主人。
自分は二人に羽交い絞めにされ殴打。蹴打。しまいには首を絞められ窒息。あえなく一命を落とすハメと相成ったのである。
つまりこの事から言えるように自分が「いい気持ち」になると周囲の人々は否応なしに不快感を感じるのであって、「いい気持ち」になっている人を見せられると他人は「悪い気持ち」になるのである。
もっと言えば自由奔放は殺人すら招くのである。
こう考えると自由奔放に生きる人が増えると、あちらこちらで殺人やら傷害事件やらが頻発するのは自明の理。まさに世界中で3秒に一人が殺人に会い、0.5秒に一人が大怪我をさせられて病院に担ぎ込まれるという阿鼻叫喚地獄絵巻。まさに世は末。
しかしながら窓の外を見渡すと今のところどこにも殺されている人を見ないし、殴られている人も蹴られている人も首を絞められている人も見ない。つまりは自由奔放に生きることを皆が自粛しているのであり、我慢をしているのであり、殺されたり殴られたりするのがイヤだから自由を懐中にしまい込んでいるのである。
自分は妙に納得。自由に外出して殺されるのもご免なので自宅でじっとしていることにした。
ところがやはり腹は減る。仕方がないので自分は車に乗って近くのスーパーマーケットに買出しに行くことにした。
しかしそこで目にしたモノは自分の想像をはるかに絶したモノであった。タバコのポイ捨てをする中年のおっさん。幼児の見てる前で信号無視をするじじい。マナー無視で車列に割り込む人相の悪いクソガキ。レジ待ちの列にカゴだけ置いて買い物を続けるおばはん・・・などなど、自由奔放に振舞う人々。
なあんだ。世の中は自由に満ち溢れている。
自由奔放。自由闊達。自由自在。フリーダム!!
ついに我慢できなくなった自分は慌てて自宅に駆け戻り、テーブルによじ登ってほへら節を高らかに歌い上げたのであった。いひひ。
いいね、自由。ひゃらっほ~。
メシを食うのも自由。寝るのも自由。仕事するのも自由。人と話すのも自由。外出するのも自由。自由奔放。自由とは素晴らしい。
自由万歳。うくく。
冒頭から文体がややおかしくありましょう?
これも自由について書くにはやはり自由に書かんければと思って自由に書いてんの。おほほ。文筆の荒法師。ばはは。阿呆。
さあここらで自由奔放の象徴でもある「ほへら節」でも吟じようかと思ったのだけれど、あ、ほへら節ってえのはあれね、まったくチューニングの合ってないギター、つまりまったく調子の外れたギターをやたらめったらかき鳴らしながら、真っ赤な顔で淫語、その他公の場では決して口外できない歌詞というか単語を絶叫するっちゅうやつね。
で、調子っぱずれのギターを手にしたのだけれど、ここで自分ははたと考えた。
自由とはそれを実践することによりその実践者に無上の喜びと開放感を与えるもの、つまり「いい気持ち」にさせるモノであるワケなのだが、その「いい気持ち」になっている自分ってえのは他から見るとどうなのでありましょう。
例えば自分は腹が減ったので近隣のレストランテで食事をすることにした。店内に案内され席につくと隣の席には一組の男女のカップル。男が女をまさに口説かんとする最中なのであった。しばらくすると自分の席に料理が運ばれ、自分はそれを食し始めたのであるが、どういうワケか突如その場でほへら節が歌いたくなってきた。歌いたくて唄いたくて謡いたくて仕方ない。なればそう、自分は自由奔放。自由闊達。フリーダム!!おもむろに立ち上がりほへら節を一節。いい具合に高揚、陶酔の域に達した自分はついには隣のカップルのテーブルの上に飛び乗って淫語を連発。タブー語を高らかに歌い上げたのであった。
「いい気持ち」に浸っている自分に反し、カップルの顔はみるみる曇り、女は汚物を見るような目でこちらを見ている。もう少しで女を口説き落とせたハズの男は眼を真っ赤にし、殺意に満ち満ちた面持ちで歯ぎしりをしている。
マズイ雰囲気を察知した自分は食いかけの料理もそのままに、自由奔放に銭を支払うことなく、自由奔放に店を出たのである。
ところが自分を追いかけてくる者二名。
女と別れた男と、支払いを倒されたレストランテの主人。
自分は二人に羽交い絞めにされ殴打。蹴打。しまいには首を絞められ窒息。あえなく一命を落とすハメと相成ったのである。
つまりこの事から言えるように自分が「いい気持ち」になると周囲の人々は否応なしに不快感を感じるのであって、「いい気持ち」になっている人を見せられると他人は「悪い気持ち」になるのである。
もっと言えば自由奔放は殺人すら招くのである。
こう考えると自由奔放に生きる人が増えると、あちらこちらで殺人やら傷害事件やらが頻発するのは自明の理。まさに世界中で3秒に一人が殺人に会い、0.5秒に一人が大怪我をさせられて病院に担ぎ込まれるという阿鼻叫喚地獄絵巻。まさに世は末。
しかしながら窓の外を見渡すと今のところどこにも殺されている人を見ないし、殴られている人も蹴られている人も首を絞められている人も見ない。つまりは自由奔放に生きることを皆が自粛しているのであり、我慢をしているのであり、殺されたり殴られたりするのがイヤだから自由を懐中にしまい込んでいるのである。
自分は妙に納得。自由に外出して殺されるのもご免なので自宅でじっとしていることにした。
ところがやはり腹は減る。仕方がないので自分は車に乗って近くのスーパーマーケットに買出しに行くことにした。
しかしそこで目にしたモノは自分の想像をはるかに絶したモノであった。タバコのポイ捨てをする中年のおっさん。幼児の見てる前で信号無視をするじじい。マナー無視で車列に割り込む人相の悪いクソガキ。レジ待ちの列にカゴだけ置いて買い物を続けるおばはん・・・などなど、自由奔放に振舞う人々。
なあんだ。世の中は自由に満ち溢れている。
自由奔放。自由闊達。自由自在。フリーダム!!
ついに我慢できなくなった自分は慌てて自宅に駆け戻り、テーブルによじ登ってほへら節を高らかに歌い上げたのであった。いひひ。