明けて2006年のスタートは散々なものでした。
1月の 「都雅都雅」 でのステージ。
機材トラブルから僕のアンプの音がライヴ中に出なくなるという大きなアクシデントに見舞われました。
僕はステージの上で茫然自失・・・。
2005年の終わりを大盛況で打ち上げた我々にとって、この出来事にはさすがに凹みました。
リベンジしなければ・・・。
翌月2月にも 「都雅都雅」でのイベント出演を控えていた僕はそう誓いました。
2月のイベントは 「グラッチェ祭」 。音楽仲間であった kichibo 氏が先頭きって主催されたイベントでありました。
来ていただいたお客さんの声援、そして素晴らしい対バンさんたちの力もあって、なんとかリベンジは叶いました。
そしてイベント自体も素晴らしいものになりました。
3月に再びお声かけいただき、滋賀県での2回目のアコースティック・ライヴ。
満場のお客さんの中、地元の皆さんはじめたくさんのかたがたの声援に支えられ、成功に終わりました。
そして5月にまたもや 「都雅都雅」 で、ラフ&ブルーさん主催のイベント、「ミュージック・ジャンキーズ・ナイト」 に出演させていただきました。
このイベントも素晴らしいものでした。
通常のブッキング・ライヴとは違う楽しさが、イベントにはあるのです。
2月からのライヴの成功に気を良くしていた僕は、ある計画を企てていました。
それはJRBのCDを制作したい、ということでした。
実はそれまでに春の時点でいつもお世話になっているkeiさんの計らいにより、本格的なレコーディング・スタジオにおいてJRBの代表曲となっている 「赤い月」 をレコーディングさせていただいていました。 それ以前からもっと自分たちの曲をたくさんの人たちにライヴ以外でも聴いてもらいたい、という思いもあってCD制作には興味があったのですが、この春のレコーディングが僕のそんな思いに火を点けました。
早速内海さんとオーミチくんに相談。 7月、8月とライヴ活動を休止してレコーディングに専念することになりました。
決まったが吉日。僕は新しいギターを買うために貯めていたお金を一部崩し、翌週機材を買いに走りました。
ライヴを休んでまで行うレコーディング。 なんとか全ての人に合格点をいただけるものにしなくては・・・。
それはイバラの道でした。
正直こんな労苦に襲われるとは予想していませんでした。
デジタル機材を僕が100%使いこなせない事からくる作業の遅れ・・・。
しかしそんな沈滞気味のムードを若いオーミチくんの「プレイにこだわる」姿勢が払拭してくれます。 舞台音響の経験のある内海さんの的確なマイキング技術がテンション維持を支えてくれます。 僕はまたもや二人に助けられながらようやく録音作業を終えたのは予定より3ヵ月遅れの11月上旬でした。
休日はライヴをしない。
Story of JRB の最初のほうの記事でも述べたとおり(こちらです)、僕は今でも自分にそう誓っています。 これは “現状において” は何ものにも替えがたい僕の決意なのです。
レコーディングに没頭していた8月、「竹の音」 のTAKEさんから一通のメールが届きました。
「10月22日に野外ライヴを企画しています。 全ての人に優しいバリア・フリーなイベントです。 出演検討ください」
概ね上のような内容でした。
僕は悩みました。
聞くところによるとそのイベントは、聴覚障害を持つ高校生ロック・バンドをメインに子供から大人まで、障害を持つかたから健常者まで、全ての人々が一緒になって楽しめるイベントを目指すとのこと。 僕はその主旨に非常に共感を持ち、またTAKEさんの意気込みに心打たれ、すぐにでも出演しますと返事したいところでした。 しかし当日は日曜。 僕には調整が必要でしたし、仮に出演させていただいたとしても、今まで日曜ブッキングを幾度となく辞退させていただいている身にとって、依頼をいただいてきたかたがたに申し訳が立たない、という思いが僕の心の中で葛藤していました。
悩んでいた時、ある人にイベントの話しをしてみました。 すると思いもよらない答えが返ってきました。
「おもしろそうやん! 行くで! 出るんやろ? 家族も呼んだら? 昼間やし牧場やし子供も楽しいのとちがう?」
一気に気分が晴れました。
そう!家族にも観てもらえば良いのです!
思えば自分のステージを子供たちには一度も見せたことがありませんでした。夜のライヴ・ハウスにはなかなか呼べないので、昼間の野外ステージはその絶好の機会!
内海さんとオーミチくんにスケジュールを確認したのち、僕はすぐにTAKEさんに出演させていただく旨を申し伝え、晴れてJRB最初で最後(?)の日曜ライヴ 「無限大まつり」 出演とあいなったワケです。
盛り上がりを見せた滋賀でのライヴのあとは厳しい現実が待っていました。
11月の 「ウーララ」 出演。
3対バン中、出順はトリ。
ウーララでの初めてのトリ出演に、僕は喜びと同時に底知れない責任を感じていました。
その責任感は出演直前の客席を見た瞬間、恐ろしいほどのプレッシャーに変わりました。
JRBのお客さん2名・・・。
2名以外客席は全て対バンさんのお客さんです。
JRB最低動員数記録を更新してしまいました。
演奏を始めましたが、案の定客席からの反応は・・・。
勇気を振り絞って最初のMCで最前列のお客さんをいじってみました。
しかしこれが裏目。 さらに客席との距離が遠のきます。
隣でいつも通りの軽やかなステップをみせる内海さんを見て、これではイカンと演奏に気合を入れますが、どうしてもお客さんに気持ちが届きません。
拍手すら起こらない客席・・・。
非常に厳しいステージになってしまいました。
ステージの上であんなにも 「孤独」 を感じたのは初めてのことでした。
そしてついに僕はライヴ半ばで今回のステージを 「投げて」 しまいました。
それは絶対にやってはいけないことでした。
ライヴ終了後、僕は悔しくて悔しくて仕方ありませんでした。
ただ単に用意した曲をなぞるだけのライヴ。 まったく不本意な形で幕を降ろしたライヴ。
「こういう時もある。だからもっとステージで自分の気持ちをコントロールできるようにならんとアカン。 気持ちの浮き沈みが分かりやす過ぎる。 人の助けを期待したらアカン。 フロント・マンっちゅうのは孤独なんや。 そういうもんなんや」
この時の内海さんの言葉はとてもキツく感じましたが、間違ってはいませんでした。 JRBのために来ていただいた2名のお客さんに、ひたすら謝ることしかできなかった自分が情けなく、悔しかったんです。
勉強というにはあまりに辛いライヴでした。
なんとか気持ちを持ち直し、2006年最後のライヴは初出演となる 「和音堂」 でした。
ここでも対バンのyukkiさん、MASAさんはじめ、素晴らしいかたがたと出会いました。
皆さんのおかげもあってなんとか2006年の〆ライヴは成功のうちに終了しました。
僕はライヴのメンバー紹介の時、JRBをサッカーのチームになぞらえて、内海さんをミッド・フィールダー、オーミチくんをゴール・キーパーに例えます。
これはJRBの中での彼らの印象そのままであって、最終ライン・ゴール際にオーミチくんがいるからこそ安心して前線で戦えるのです。 また前線と最終ラインを結ぶ司令塔として内海さんはいつも僕が迷った時は右に左に可能性を示してくれます。
「チームJRB」 という考え方が僕は大好きです。
JRBは3人のバンドですが、チームJRBは結成当初からお世話になり続けているカメラマンの北村さんをはじめとするJRBの活動を支えくださるかたがた、応援していただけるかたがた(お客さんも)を含めた、まさに読んで字のごとく 「チーム」 としての考え方です。
結成から今までお世話になりました皆様には本当にありがとうございました。
そしてこれからも宜しくお願いします。
これからもチームの増大を計るべく、ますますJRBは歩みを止めません。
これまでの経験を糧にして歩み続けます。
先ずは来年1月23日(火) ウーララでお会いしたいと思います。
ウーララには大きな忘れ物を置いてきましたのでね。
~これからの活動につづく~
参考文献(笑)
Story of JRB ~芽吹き~
Story of JRB ~出会い~
Story of JRB ~誕生~
Story of JRB ~最初の一歩~
Story of JRB ~転機~
Story of JRB ~新たなる挑戦~
1月の 「都雅都雅」 でのステージ。
機材トラブルから僕のアンプの音がライヴ中に出なくなるという大きなアクシデントに見舞われました。
僕はステージの上で茫然自失・・・。
2005年の終わりを大盛況で打ち上げた我々にとって、この出来事にはさすがに凹みました。
リベンジしなければ・・・。
翌月2月にも 「都雅都雅」でのイベント出演を控えていた僕はそう誓いました。
2月のイベントは 「グラッチェ祭」 。音楽仲間であった kichibo 氏が先頭きって主催されたイベントでありました。
来ていただいたお客さんの声援、そして素晴らしい対バンさんたちの力もあって、なんとかリベンジは叶いました。
そしてイベント自体も素晴らしいものになりました。
3月に再びお声かけいただき、滋賀県での2回目のアコースティック・ライヴ。
満場のお客さんの中、地元の皆さんはじめたくさんのかたがたの声援に支えられ、成功に終わりました。
そして5月にまたもや 「都雅都雅」 で、ラフ&ブルーさん主催のイベント、「ミュージック・ジャンキーズ・ナイト」 に出演させていただきました。
このイベントも素晴らしいものでした。
通常のブッキング・ライヴとは違う楽しさが、イベントにはあるのです。
2月からのライヴの成功に気を良くしていた僕は、ある計画を企てていました。
それはJRBのCDを制作したい、ということでした。
実はそれまでに春の時点でいつもお世話になっているkeiさんの計らいにより、本格的なレコーディング・スタジオにおいてJRBの代表曲となっている 「赤い月」 をレコーディングさせていただいていました。 それ以前からもっと自分たちの曲をたくさんの人たちにライヴ以外でも聴いてもらいたい、という思いもあってCD制作には興味があったのですが、この春のレコーディングが僕のそんな思いに火を点けました。
早速内海さんとオーミチくんに相談。 7月、8月とライヴ活動を休止してレコーディングに専念することになりました。
決まったが吉日。僕は新しいギターを買うために貯めていたお金を一部崩し、翌週機材を買いに走りました。
ライヴを休んでまで行うレコーディング。 なんとか全ての人に合格点をいただけるものにしなくては・・・。
それはイバラの道でした。
正直こんな労苦に襲われるとは予想していませんでした。
デジタル機材を僕が100%使いこなせない事からくる作業の遅れ・・・。
しかしそんな沈滞気味のムードを若いオーミチくんの「プレイにこだわる」姿勢が払拭してくれます。 舞台音響の経験のある内海さんの的確なマイキング技術がテンション維持を支えてくれます。 僕はまたもや二人に助けられながらようやく録音作業を終えたのは予定より3ヵ月遅れの11月上旬でした。
休日はライヴをしない。
Story of JRB の最初のほうの記事でも述べたとおり(こちらです)、僕は今でも自分にそう誓っています。 これは “現状において” は何ものにも替えがたい僕の決意なのです。
レコーディングに没頭していた8月、「竹の音」 のTAKEさんから一通のメールが届きました。
「10月22日に野外ライヴを企画しています。 全ての人に優しいバリア・フリーなイベントです。 出演検討ください」
概ね上のような内容でした。
僕は悩みました。
聞くところによるとそのイベントは、聴覚障害を持つ高校生ロック・バンドをメインに子供から大人まで、障害を持つかたから健常者まで、全ての人々が一緒になって楽しめるイベントを目指すとのこと。 僕はその主旨に非常に共感を持ち、またTAKEさんの意気込みに心打たれ、すぐにでも出演しますと返事したいところでした。 しかし当日は日曜。 僕には調整が必要でしたし、仮に出演させていただいたとしても、今まで日曜ブッキングを幾度となく辞退させていただいている身にとって、依頼をいただいてきたかたがたに申し訳が立たない、という思いが僕の心の中で葛藤していました。
悩んでいた時、ある人にイベントの話しをしてみました。 すると思いもよらない答えが返ってきました。
「おもしろそうやん! 行くで! 出るんやろ? 家族も呼んだら? 昼間やし牧場やし子供も楽しいのとちがう?」
一気に気分が晴れました。
そう!家族にも観てもらえば良いのです!
思えば自分のステージを子供たちには一度も見せたことがありませんでした。夜のライヴ・ハウスにはなかなか呼べないので、昼間の野外ステージはその絶好の機会!
内海さんとオーミチくんにスケジュールを確認したのち、僕はすぐにTAKEさんに出演させていただく旨を申し伝え、晴れてJRB最初で最後(?)の日曜ライヴ 「無限大まつり」 出演とあいなったワケです。
盛り上がりを見せた滋賀でのライヴのあとは厳しい現実が待っていました。
11月の 「ウーララ」 出演。
3対バン中、出順はトリ。
ウーララでの初めてのトリ出演に、僕は喜びと同時に底知れない責任を感じていました。
その責任感は出演直前の客席を見た瞬間、恐ろしいほどのプレッシャーに変わりました。
JRBのお客さん2名・・・。
2名以外客席は全て対バンさんのお客さんです。
JRB最低動員数記録を更新してしまいました。
演奏を始めましたが、案の定客席からの反応は・・・。
勇気を振り絞って最初のMCで最前列のお客さんをいじってみました。
しかしこれが裏目。 さらに客席との距離が遠のきます。
隣でいつも通りの軽やかなステップをみせる内海さんを見て、これではイカンと演奏に気合を入れますが、どうしてもお客さんに気持ちが届きません。
拍手すら起こらない客席・・・。
非常に厳しいステージになってしまいました。
ステージの上であんなにも 「孤独」 を感じたのは初めてのことでした。
そしてついに僕はライヴ半ばで今回のステージを 「投げて」 しまいました。
それは絶対にやってはいけないことでした。
ライヴ終了後、僕は悔しくて悔しくて仕方ありませんでした。
ただ単に用意した曲をなぞるだけのライヴ。 まったく不本意な形で幕を降ろしたライヴ。
「こういう時もある。だからもっとステージで自分の気持ちをコントロールできるようにならんとアカン。 気持ちの浮き沈みが分かりやす過ぎる。 人の助けを期待したらアカン。 フロント・マンっちゅうのは孤独なんや。 そういうもんなんや」
この時の内海さんの言葉はとてもキツく感じましたが、間違ってはいませんでした。 JRBのために来ていただいた2名のお客さんに、ひたすら謝ることしかできなかった自分が情けなく、悔しかったんです。
勉強というにはあまりに辛いライヴでした。
なんとか気持ちを持ち直し、2006年最後のライヴは初出演となる 「和音堂」 でした。
ここでも対バンのyukkiさん、MASAさんはじめ、素晴らしいかたがたと出会いました。
皆さんのおかげもあってなんとか2006年の〆ライヴは成功のうちに終了しました。
僕はライヴのメンバー紹介の時、JRBをサッカーのチームになぞらえて、内海さんをミッド・フィールダー、オーミチくんをゴール・キーパーに例えます。
これはJRBの中での彼らの印象そのままであって、最終ライン・ゴール際にオーミチくんがいるからこそ安心して前線で戦えるのです。 また前線と最終ラインを結ぶ司令塔として内海さんはいつも僕が迷った時は右に左に可能性を示してくれます。
「チームJRB」 という考え方が僕は大好きです。
JRBは3人のバンドですが、チームJRBは結成当初からお世話になり続けているカメラマンの北村さんをはじめとするJRBの活動を支えくださるかたがた、応援していただけるかたがた(お客さんも)を含めた、まさに読んで字のごとく 「チーム」 としての考え方です。
結成から今までお世話になりました皆様には本当にありがとうございました。
そしてこれからも宜しくお願いします。
これからもチームの増大を計るべく、ますますJRBは歩みを止めません。
これまでの経験を糧にして歩み続けます。
先ずは来年1月23日(火) ウーララでお会いしたいと思います。
ウーララには大きな忘れ物を置いてきましたのでね。
~これからの活動につづく~
参考文献(笑)
Story of JRB ~芽吹き~
Story of JRB ~出会い~
Story of JRB ~誕生~
Story of JRB ~最初の一歩~
Story of JRB ~転機~
Story of JRB ~新たなる挑戦~