2004年5月の初ライヴを終えてから徐々にオリジナル曲の数を増やし、1ステージ分全てオリジナルで埋めることができるようになりました。 この頃になると活動も幅の広がりをみせ始め、RAGだけでなくウーララ、万什・・・、色々なライヴハウスのステージにも立たせていただけるようになりました。
今現在でも僕の仕事の都合から「一ヶ月に一回のライヴ」というのが限界のペースなんですが、2004年はそれをフルに活用して、5月も含めると計7本のライヴを行いました。
そんな中、「その事」 の予感はしていました。
僕は常々、内海さんにもドラマーの加藤くんにも 「楽しくなかったら辞めてください」 と言っていました。 今でもその考えは変わっていません。 これはお金を払って我々を観にきてくださるお客さんに対して、ステージの上で楽しんでいない自分たちの姿を見せるのはこの上なく失礼だと思うからです。 だから先ずはバンドのメンバー全員が楽しくないといけない・・・、心が同じ方向を向いてないといけない・・・、という思いからです。
また、仕事と家庭とのバランスを保ちながらバンド活動の時間を捻出している僕にとって、バンド活動が楽しくないという状況は考えることすらしたくありません。 僕とバンドの為を思って小さな子供を抱えながら家で留守を切り盛りしてくれている家人や、ライヴごとに仕事を午後から休んでしまう穴を埋めてくれる自分の店の従業員にも、僕がバンドでストレスをためた顔を見せるのはまったくもって申し訳がたちません。 全てが貴重な時間の中での事なのですから。
加藤くんの様子がおかしい・・・。
そう気付いたのは、彼が僕に 「その事」 を告白するひと月ほど前でした。
練習に来ても元気が無い・・・。
ドラミングにも精彩を欠いてきた・・・。
なんとなくイライラしている・・・。
加藤くんのそれらの様子は日増しに顕著になっていきます。
見かけよりも短気である僕はそんな加藤くんの態度に正直業を煮やしましたが、彼が以前のようにバンドを楽しめるため、ひいては僕自身がバンドを楽しめるために最大限の努力を加藤くんに対して行いました。
しかし結局彼が出した結論は 「JRBを辞める」 でした。
2004年の晩秋、加藤くんは僕に 「その事」 を告げました。
脱退の最も大きな原因は、ライヴの数が多すぎる・・・、というものでした。 三ヶ月に一回程度が理想である、ということでした。 元々彼は非常にマイペースな性格であったので、その辺りの部分をかなり負担に感じていたようでした。 考え方のギャップ イコール 楽しくない・・・。 仕方ありません。
僕は加藤くんに今までのお礼を言い、二人で今後の段取りについて話し合いました。 そして2005年1月のRAGでのライヴを最後に、JRB初代ドラマーの加藤くんはバンドを去ることになりました。
冬の訪れを感じさせる寒風のなか、またもや内海さんと二人になってしまいました。 でも加藤くんの脱退する後もJRBの歩みを止めたくなかった僕は、なんとしてでも加藤くんの在籍中に新ドラマーを探すべく、内海さんと二人でまさに東奔西走しました。 内海さんに作成してもらったメンバー募集のチラシをスタジオや馴染みの楽器店、その他行きつけのお店などに貼ってもらいました。 知り合いにも手を伸ばし色々声をかけてもらったりしました。 しかしなかなかおもわしい成果は上がりません。 応募は数名あるにはあったのですがJRBには即戦力が必要だったために、昨日今日のドラマーのようなテクニックでは話しにすらなりません。
このままでは2005年2月以降のライヴ活動はしばらくできないな・・・。JRBは立ち上げ一年を待たずして早くも活動休止かな・・・。 と思いかけていた矢先、内海さんからのメールで朗報がもたらされました。
『知り合いのバンドのドラマーが新たな活動の場所を探している。 腕前保証。 当面はバンドかけもちになるとは思うが一度セッションしてみる価値あり。 いかが?』
すぐに内海さんにそのドラマー候補くんと連絡をとってもらい、セッションしてみることにしました。
場所は三条にあるいつものスタジオ。
僕は約束の時間より少し早くに着いて、スタジオの顔馴染みの店員さんと新聞を読みながら談笑していました。
候補くんと内海さんの到着を待ちながら、よくよく考えてみれば僕はその候補くんの「見た目」について内海さんからほとんど何も聞かされていないことに遅ればせながら気付きました。 店内に居る他のお客さんは三人・・・。ん~~、これじゃあ誰が入ってきても声をかけられないな・・・。 仕方なく待っているとしばらくして内海さんがやって来ました。 すると内海さんはドアを開けるやいなや、ドアの横に立っていた長身の男性と挨拶しているではありませんか!? ああ!なんということ!? その長身の男性は先ほどからずっとここに居たのです。
なんだか僕は恥ずかしくなって、ややシドロモドロになりながら 「ど~も、は・・はじめまして角谷です」 と挨拶しました。 僕のうわずった声と対照的に彼は低く太い声でゆっくりと 「オーミチです」 と自分の名前を名乗りました。
~つづく~
今現在でも僕の仕事の都合から「一ヶ月に一回のライヴ」というのが限界のペースなんですが、2004年はそれをフルに活用して、5月も含めると計7本のライヴを行いました。
そんな中、「その事」 の予感はしていました。
僕は常々、内海さんにもドラマーの加藤くんにも 「楽しくなかったら辞めてください」 と言っていました。 今でもその考えは変わっていません。 これはお金を払って我々を観にきてくださるお客さんに対して、ステージの上で楽しんでいない自分たちの姿を見せるのはこの上なく失礼だと思うからです。 だから先ずはバンドのメンバー全員が楽しくないといけない・・・、心が同じ方向を向いてないといけない・・・、という思いからです。
また、仕事と家庭とのバランスを保ちながらバンド活動の時間を捻出している僕にとって、バンド活動が楽しくないという状況は考えることすらしたくありません。 僕とバンドの為を思って小さな子供を抱えながら家で留守を切り盛りしてくれている家人や、ライヴごとに仕事を午後から休んでしまう穴を埋めてくれる自分の店の従業員にも、僕がバンドでストレスをためた顔を見せるのはまったくもって申し訳がたちません。 全てが貴重な時間の中での事なのですから。
加藤くんの様子がおかしい・・・。
そう気付いたのは、彼が僕に 「その事」 を告白するひと月ほど前でした。
練習に来ても元気が無い・・・。
ドラミングにも精彩を欠いてきた・・・。
なんとなくイライラしている・・・。
加藤くんのそれらの様子は日増しに顕著になっていきます。
見かけよりも短気である僕はそんな加藤くんの態度に正直業を煮やしましたが、彼が以前のようにバンドを楽しめるため、ひいては僕自身がバンドを楽しめるために最大限の努力を加藤くんに対して行いました。
しかし結局彼が出した結論は 「JRBを辞める」 でした。
2004年の晩秋、加藤くんは僕に 「その事」 を告げました。
脱退の最も大きな原因は、ライヴの数が多すぎる・・・、というものでした。 三ヶ月に一回程度が理想である、ということでした。 元々彼は非常にマイペースな性格であったので、その辺りの部分をかなり負担に感じていたようでした。 考え方のギャップ イコール 楽しくない・・・。 仕方ありません。
僕は加藤くんに今までのお礼を言い、二人で今後の段取りについて話し合いました。 そして2005年1月のRAGでのライヴを最後に、JRB初代ドラマーの加藤くんはバンドを去ることになりました。
冬の訪れを感じさせる寒風のなか、またもや内海さんと二人になってしまいました。 でも加藤くんの脱退する後もJRBの歩みを止めたくなかった僕は、なんとしてでも加藤くんの在籍中に新ドラマーを探すべく、内海さんと二人でまさに東奔西走しました。 内海さんに作成してもらったメンバー募集のチラシをスタジオや馴染みの楽器店、その他行きつけのお店などに貼ってもらいました。 知り合いにも手を伸ばし色々声をかけてもらったりしました。 しかしなかなかおもわしい成果は上がりません。 応募は数名あるにはあったのですがJRBには即戦力が必要だったために、昨日今日のドラマーのようなテクニックでは話しにすらなりません。
このままでは2005年2月以降のライヴ活動はしばらくできないな・・・。JRBは立ち上げ一年を待たずして早くも活動休止かな・・・。 と思いかけていた矢先、内海さんからのメールで朗報がもたらされました。
『知り合いのバンドのドラマーが新たな活動の場所を探している。 腕前保証。 当面はバンドかけもちになるとは思うが一度セッションしてみる価値あり。 いかが?』
すぐに内海さんにそのドラマー候補くんと連絡をとってもらい、セッションしてみることにしました。
場所は三条にあるいつものスタジオ。
僕は約束の時間より少し早くに着いて、スタジオの顔馴染みの店員さんと新聞を読みながら談笑していました。
候補くんと内海さんの到着を待ちながら、よくよく考えてみれば僕はその候補くんの「見た目」について内海さんからほとんど何も聞かされていないことに遅ればせながら気付きました。 店内に居る他のお客さんは三人・・・。ん~~、これじゃあ誰が入ってきても声をかけられないな・・・。 仕方なく待っているとしばらくして内海さんがやって来ました。 すると内海さんはドアを開けるやいなや、ドアの横に立っていた長身の男性と挨拶しているではありませんか!? ああ!なんということ!? その長身の男性は先ほどからずっとここに居たのです。
なんだか僕は恥ずかしくなって、ややシドロモドロになりながら 「ど~も、は・・はじめまして角谷です」 と挨拶しました。 僕のうわずった声と対照的に彼は低く太い声でゆっくりと 「オーミチです」 と自分の名前を名乗りました。
~つづく~