やや体調も思わしくありませんでしたが、昨夜「能」と「狂言」を観に行ってきました。
知り合いの金剛流の能楽師Tさんから、出演しますのでよかったら・・・と招待いただいんです。

仕事を終えてからソッコー!で京都・岡崎にある 「京都観世会館」 に向かいます。
到着すると既に始まっていて、Tさんの舞われる演目の一つ前でした。良かった・・・間に合った・・・。
会場内はすごく厳粛な雰囲気に包まれていたので、すぐに客席には入らず演目が終わるのを待って中に入りました。すると客席は満席。一階席はちょっと座れそうにありません。仕方なく少し余裕のありそうな二階席へ。

それにしてもスゴい施設です。う~~~ん、雰囲気あるわ~~。
実は僕は4歳から13歳まで、養母の勧めで日本舞踊を習っていまして、祇園の歌舞練場なんかの大きな舞台にも何度も立たせてもらったことがあることから、こういう雰囲気がとっても懐かしくもあり、自然に受け入れられました。
日舞を習っていたというとお金持ちのような印象をお持ちのかたもあるかと思いますが、ウチの実家は超がつくほど極貧でした(笑)。どれだけ貧乏だったかはあまりにも生々しいのでここでは書けませんが、興味のあるかたは直接僕に聞いてください(笑)。ただしちょっとばかり長くなりますが・・・(笑)。日舞は「養母」が出資してくれました。

話しを元に戻しましょう。

ほどなくTさんの演目が始まりました。
三人の謡い方をバックに、Tさん一人での「仕舞」です。
黒の紋付に灰色の袴姿。キマッてます。
日舞の原点はやはり能ですね。足の運びや立ち居振る舞いはまったく日舞で言うところの 「男舞い」 のそれと同じで、すごく興味深かったし引き込まれました。
いやあ~、良かった!!

続いては10分の休憩を挟んで、テレビ・ラジオでおなじみ、茂山千三郎氏による狂言。演目は 「茶壷」 。
これはある田舎者が都から茶の入った茶壷を国元に持ち帰る際、酒に酔って街道で眠ってしまいます。それを見たある男がこの茶壷を我が物にすべく、眠っている田舎者の傍らで茶壷の肩ヒモに腕を通して同じように眠ります。眠りから覚めた田舎者、ふと気付くと自分の茶壷のヒモに腕を通して眠っている見知らぬ男。驚いた田舎者、男を起こして自分の茶壷から腕を離せ!と言いますが、男もこの茶壷は自分の物だと言って譲りません。そこで土地の代官に裁定を委ねることに。さあ茶壷は誰の元に・・・。 こういうストーリーです。
能に比べると狂言はとっても解りやすく、くだけた感じでした。
動きやセリフまわし、表情なんかも滑稽で、何度もクスクス笑えます。 語弊はあるかもしれませんが、昔版ミュージカル喜劇・・・みたいなところでしょうか。
また若い女性のお客さんが想像以上に多かったのも、この茂山千三郎氏によるところがあったのかな・・・。
とっても楽しかった!!

続いては最後の演目、金剛流による能 「大会(だいえ)」 です。
ここではTさん、後見で登場です。 いやあ~、活躍されてます。
謡いかた八名、太鼓、大鼓、小鼓、笛、の囃しかた、後見三名・・・と、バックも大所帯の舞台に変わります。
これは修行中の僧が山の天狗に望みを一つ叶えてやると言われ、それでは大いなる信心がしたい、と言います。 天狗は叶えてやるかわりに何があっても手を合わせてはならんと言い残し、釈迦の姿に化け、僧に荘厳なる大会(だいえ)の光景を見せます。 ところがその光景があまりにも荘厳且つ盛大、見事なものであったため、僧は思わず約束を忘れ、天狗が化けた釈迦に手を合わせてしまいます。 するとたちまち釈迦は天狗の姿に変化し、天からは帝釈天が現れ、帝釈天に散々にやられた天狗はほうほうの体で山へ逃げ帰る・・・。といったものでした。

正直、感動しました。

絶句しました。

あれだけ簡素な舞台装置・・・。効果音があるわけでないのに風の音や読経の声が心の中で聴こえるんです。 赤や青の照明に照らされているわけではないのに心の中では暗転したりフラッシングしたりして見えるんです。

楽器も演者の声も、全てマイク無しの「生」です。
400人を越える収容数の会場です。
にも関わらずそれらの音は会場内を劈かんばかりに響き渡り、心を激しく揺さぶります。

なんという事なんでしょう!
これは凄いことです!

僕はそこに明らかに、演者・囃しかた・謡いかた・後見が一体となった静寂の中のパワーを見ました。

伝統芸能を甘くみていたワケではありません。
現にまがりなりにも9年間の経験が僕にもあったからです。
しかしその僕が、今さらにしてあの舞台からの 「気迫」 にしてやられてしまいました。
素晴らしい勉強をさせていただきました。

恐るべし 「芸」 の世界!!

また行こうと思います。
でも今回一人で行ったのはさすがにちょっと寂しかったので、もし興味のあるかた今度一緒にいかが?