ギターは内海さん、ベースはTさん、ドラムはSさん、そしてヴォーカル・ギターの僕。4人でのバンドがスタートしました。
全員僕より年長でした。
内海さんとTさんは過去にライヴハウスで本格的に活動されていた、言ってみれば 「経験者」 でした。Sさんはライヴ経験はまったく無いようでしたが、2児の父でありながらどうしても音楽がしたいという気持ちに共感が持てました。
みんなで早速次の練習の日程を決め、課題曲も増やし、僕はスタジオに入る日を楽しみにしていました。
ところが・・・。
練習の当日、当時1歳8ヶ月だった娘が肺炎をこじらせて入院してしまいました。
子供が入院なんて初めての経験です。まだまだ新米パパ・ママだった僕も家人も大いにうろたえました。僕は夕刻より荷物を病院に運んだり病室にカンヅメになっている家人の食事を調達したり・・・。バンドは休むしかありません。初めての本格的な練習なのに・・・、とっても歯がゆい想いでしたがそうも言ってられません。
仕方なく僕は一番年長であったTさんの携帯に電話を入れました。
事情を説明したうえで、3人で音を合わせといてください、とお願いし謝罪しました。
「ああ~、そおかあ・・・。ほなみんなに言うとくわあ」
相変わらずのヤニこい調子でゆっくりとTさんはそう言いました。
そういうワケで新バンドの第一回目の練習は僕抜きで行われました。
娘が退院、快復するのを待って僕はすぐに二回目の練習の段取りにかかりました。
全員のスケジュールを確認、日程決定。
僕はその日を心待ちにしました。
ところが・・・。
当日になってTさんから電話。
「子供が熱出して都合ワルなったし今日行けへんわ・・・」
・・・・・・・・。
仕方ありません。
今度はTさん抜きでスタジオに入りました。
今度こそは!という願いを込めて僕は再々度練習の日程調整をしました。
日程決定。
ところが・・・。
練習日当日の夕刻、Tさんから電話が入りました。
「オレやめるわ。みんなによろしゅう言うといて~」
理由を聞きましたがそれはワケのわからんものでした。
スタジオに行き、その事を内海さんとSさんに告げました。2人ともショックな様子でした。
やっぱり小さい子供を持ってバンド続けていくなんて理想だけの話しかな・・・。もう無理かも・・・。そう思いかけていた僕にSさんが言いました。
「角ちゃん!バンド続けよ!絶対やめんとこ!メンバー探そ!」
2児の父であったSさんも僕と同じ気持ちだったのでしょう。僕はSさんの言葉に背中を押されました。
また1から 「なりふり」 構わないメンバー探しです。
僕はあっちこっちに広告を出しまくりました。
そしてFくんというベーシストが加入しました。
ところがFくんはベースを 「所持している」 といった程度のレヴェルで、その技術はおぼつかないものでした。
内海さんと僕は、なんとかFくんを一人前のベーシストにするため悪戦苦闘した甲斐あってか、ゆっくりゆっくりとではあるものの、Fくんの腕前は進歩の兆しを見せ始めました。
この頃僕は自身のオリジナルをみんなで合わせてみることにしました。カヴァーばかりでは物足りなくなってきたのです。
実際やってみるとドラムとベースがややドタバタしていましたが、なんだかとっても嬉しかったのを覚えています。
そしてその頃から僕の心の中には次の目標が出来上がりつつありました。それは 「ライヴ・ハウスに出る」 というものでした。バンドを組んだ当初はスタジオで音を出せればそれで良し・・・と思っていたのに、この頃になると自分でも不思議なくらいの野心とも言うべきものが僕の中に静かに沸き起こっていました。
僕は内海さんにその気持ちを伝え、どうしたらよいか相談しました。
内海さんからの返事は至極冷静でした。
「今のリズム隊のレヴェルでは絶対無理」
分かっていた事でしたが改めてそう言われると現実を突きつけられた気がして少しびっくりしました。
僕は悩みました。
SさんもFくんも技術的には確かに苦しいものはありました。でも彼らのヤル気とバンドに対する愛情は恐らく僕と同様でした。現にSさんの言葉に背中を押されて1年間こうやってバンドを続けてきたのですから。
Fくんも 「バンドやるようになって世界が変わりました。バンドってめっちゃ楽しいっす!」 と毎回のように言っていました。
そんな2人を切り捨てるなんて・・・。
このままセッションバンドとしてサークルノリで和気藹々と活動するのか・・・、ステップアップしてライヴバンドとしてスポットを浴びるのか・・・。
考えに考え、悩みに悩んだ末、僕は後者を歩む道を選びました。
「バンドを解消しましょう」
僕は皆に言いました。
内海さんには事前に、新たなバンドを一緒にやってください、とお願いしてありました。
SさんとFくんはとても驚いた様子でショックを受けているようでした。
2人ともうつむいたまま「残念や・・・」 「残念です・・・」 を連発していました。2人の気持ちを思うと、とても心が痛みました。
その後数日はなんだか僕まで落ち込んでしまいました。
しかし決めたからには邁進するしかありません!
またまたメンバー探しです。
ドラマーとベーシスト・・・。なかなか簡単ではありません。
月日だけが空しく過ぎていきます。
そんなある日、ようやく候補者が決まりました。
加藤くん、当時24歳のドラマーです。
ドラムを始めてまだ3年と聞いていたのでいささか不安に思いスタジオに入りました。
音を出し始めた途端、その不安は消えました。
なかなかいい感じで叩きます。内海さんも僕にウンウンと頷きます。これならいけます!加藤くんもバンドに参加する事を快諾してくれました。
問題はベースです。
何人かとセッションしましたがなかなか決まりません。
僕がベースに転向することも考えましたが、僕はハタチの頃までベーシストだったため、ベースのバンドにおける重要さ、難しさ、そしてなにより自身のベーシストとしての限界を知っていたのでそれも断念しました。
「ベーシストには泣かされるなあ・・・」
ある日、僕が独り言のように言った言葉に内海さんが反応しました。
「俺がベース弾こか?」
僕はびっくりして内海さんを見ました。
「角ちゃんさえ良かったら俺ベース弾くで」
あんなにいいギターを弾く内海さんをベースにコンバートなんてまったく考えられなかったので僕はちょっと慌てて、でも即座にその提案を拒否しました。
「いや・・・っていうか、ベースに興味があるねん。バンドでベース弾きたいな~って思っててん実は・・・。 俺ベース弾くわ! それで3人でええやん! トリオやろうトリオ! レイ・ヴォーンだってジミ・ヘンだってロリー・ギャラガーだってトリオやんか!」
トリオ!
ブルースをルーツに持つバンドマンなら誰もが一度は憧れる甘美且つエキサイティングな響き。しかしバンド形態として必要最小限の編成ゆえ各パート難しい部分が多々あります。まったく考えてもいなかったことだけに僕は一瞬ゆらぎました。しかしそんなもったいない話しはありません。バンドとしても 「イバラの道」 だと思ったので僕はもう一度思いとどまるよう提案を拒否しました。
すると内海さんからさらに意外な言葉・・・。
「俺がどんなにさか立ちしても角ちゃんのようなギターは弾けへんねん。ブルース・ルーツなサウンド目指すんやったらそういう形のほうが絶対カッコええと思う。それでいこ!」
内海さんが素晴らしいギタリストであることは僕が今さらここで説明するまでもありません。
その内海さんからなんともったいないお言葉! 僕はこの時涙が出そうなくらいでした。有難かったんです。
僕は今でもこの内海さんの言葉を 「俺がベース弾いたるしお前もっとギター精進してええ曲書かんかい!」 という意味に解釈しています。
以降、内海さんのこの言葉によって、バンドはトリオでの活動をスタートさせることになります。
2003年秋、ジェリー・ロール・ベイカー誕生の瞬間でした。
~つづく~
全員僕より年長でした。
内海さんとTさんは過去にライヴハウスで本格的に活動されていた、言ってみれば 「経験者」 でした。Sさんはライヴ経験はまったく無いようでしたが、2児の父でありながらどうしても音楽がしたいという気持ちに共感が持てました。
みんなで早速次の練習の日程を決め、課題曲も増やし、僕はスタジオに入る日を楽しみにしていました。
ところが・・・。
練習の当日、当時1歳8ヶ月だった娘が肺炎をこじらせて入院してしまいました。
子供が入院なんて初めての経験です。まだまだ新米パパ・ママだった僕も家人も大いにうろたえました。僕は夕刻より荷物を病院に運んだり病室にカンヅメになっている家人の食事を調達したり・・・。バンドは休むしかありません。初めての本格的な練習なのに・・・、とっても歯がゆい想いでしたがそうも言ってられません。
仕方なく僕は一番年長であったTさんの携帯に電話を入れました。
事情を説明したうえで、3人で音を合わせといてください、とお願いし謝罪しました。
「ああ~、そおかあ・・・。ほなみんなに言うとくわあ」
相変わらずのヤニこい調子でゆっくりとTさんはそう言いました。
そういうワケで新バンドの第一回目の練習は僕抜きで行われました。
娘が退院、快復するのを待って僕はすぐに二回目の練習の段取りにかかりました。
全員のスケジュールを確認、日程決定。
僕はその日を心待ちにしました。
ところが・・・。
当日になってTさんから電話。
「子供が熱出して都合ワルなったし今日行けへんわ・・・」
・・・・・・・・。
仕方ありません。
今度はTさん抜きでスタジオに入りました。
今度こそは!という願いを込めて僕は再々度練習の日程調整をしました。
日程決定。
ところが・・・。
練習日当日の夕刻、Tさんから電話が入りました。
「オレやめるわ。みんなによろしゅう言うといて~」
理由を聞きましたがそれはワケのわからんものでした。
スタジオに行き、その事を内海さんとSさんに告げました。2人ともショックな様子でした。
やっぱり小さい子供を持ってバンド続けていくなんて理想だけの話しかな・・・。もう無理かも・・・。そう思いかけていた僕にSさんが言いました。
「角ちゃん!バンド続けよ!絶対やめんとこ!メンバー探そ!」
2児の父であったSさんも僕と同じ気持ちだったのでしょう。僕はSさんの言葉に背中を押されました。
また1から 「なりふり」 構わないメンバー探しです。
僕はあっちこっちに広告を出しまくりました。
そしてFくんというベーシストが加入しました。
ところがFくんはベースを 「所持している」 といった程度のレヴェルで、その技術はおぼつかないものでした。
内海さんと僕は、なんとかFくんを一人前のベーシストにするため悪戦苦闘した甲斐あってか、ゆっくりゆっくりとではあるものの、Fくんの腕前は進歩の兆しを見せ始めました。
この頃僕は自身のオリジナルをみんなで合わせてみることにしました。カヴァーばかりでは物足りなくなってきたのです。
実際やってみるとドラムとベースがややドタバタしていましたが、なんだかとっても嬉しかったのを覚えています。
そしてその頃から僕の心の中には次の目標が出来上がりつつありました。それは 「ライヴ・ハウスに出る」 というものでした。バンドを組んだ当初はスタジオで音を出せればそれで良し・・・と思っていたのに、この頃になると自分でも不思議なくらいの野心とも言うべきものが僕の中に静かに沸き起こっていました。
僕は内海さんにその気持ちを伝え、どうしたらよいか相談しました。
内海さんからの返事は至極冷静でした。
「今のリズム隊のレヴェルでは絶対無理」
分かっていた事でしたが改めてそう言われると現実を突きつけられた気がして少しびっくりしました。
僕は悩みました。
SさんもFくんも技術的には確かに苦しいものはありました。でも彼らのヤル気とバンドに対する愛情は恐らく僕と同様でした。現にSさんの言葉に背中を押されて1年間こうやってバンドを続けてきたのですから。
Fくんも 「バンドやるようになって世界が変わりました。バンドってめっちゃ楽しいっす!」 と毎回のように言っていました。
そんな2人を切り捨てるなんて・・・。
このままセッションバンドとしてサークルノリで和気藹々と活動するのか・・・、ステップアップしてライヴバンドとしてスポットを浴びるのか・・・。
考えに考え、悩みに悩んだ末、僕は後者を歩む道を選びました。
「バンドを解消しましょう」
僕は皆に言いました。
内海さんには事前に、新たなバンドを一緒にやってください、とお願いしてありました。
SさんとFくんはとても驚いた様子でショックを受けているようでした。
2人ともうつむいたまま「残念や・・・」 「残念です・・・」 を連発していました。2人の気持ちを思うと、とても心が痛みました。
その後数日はなんだか僕まで落ち込んでしまいました。
しかし決めたからには邁進するしかありません!
またまたメンバー探しです。
ドラマーとベーシスト・・・。なかなか簡単ではありません。
月日だけが空しく過ぎていきます。
そんなある日、ようやく候補者が決まりました。
加藤くん、当時24歳のドラマーです。
ドラムを始めてまだ3年と聞いていたのでいささか不安に思いスタジオに入りました。
音を出し始めた途端、その不安は消えました。
なかなかいい感じで叩きます。内海さんも僕にウンウンと頷きます。これならいけます!加藤くんもバンドに参加する事を快諾してくれました。
問題はベースです。
何人かとセッションしましたがなかなか決まりません。
僕がベースに転向することも考えましたが、僕はハタチの頃までベーシストだったため、ベースのバンドにおける重要さ、難しさ、そしてなにより自身のベーシストとしての限界を知っていたのでそれも断念しました。
「ベーシストには泣かされるなあ・・・」
ある日、僕が独り言のように言った言葉に内海さんが反応しました。
「俺がベース弾こか?」
僕はびっくりして内海さんを見ました。
「角ちゃんさえ良かったら俺ベース弾くで」
あんなにいいギターを弾く内海さんをベースにコンバートなんてまったく考えられなかったので僕はちょっと慌てて、でも即座にその提案を拒否しました。
「いや・・・っていうか、ベースに興味があるねん。バンドでベース弾きたいな~って思っててん実は・・・。 俺ベース弾くわ! それで3人でええやん! トリオやろうトリオ! レイ・ヴォーンだってジミ・ヘンだってロリー・ギャラガーだってトリオやんか!」
トリオ!
ブルースをルーツに持つバンドマンなら誰もが一度は憧れる甘美且つエキサイティングな響き。しかしバンド形態として必要最小限の編成ゆえ各パート難しい部分が多々あります。まったく考えてもいなかったことだけに僕は一瞬ゆらぎました。しかしそんなもったいない話しはありません。バンドとしても 「イバラの道」 だと思ったので僕はもう一度思いとどまるよう提案を拒否しました。
すると内海さんからさらに意外な言葉・・・。
「俺がどんなにさか立ちしても角ちゃんのようなギターは弾けへんねん。ブルース・ルーツなサウンド目指すんやったらそういう形のほうが絶対カッコええと思う。それでいこ!」
内海さんが素晴らしいギタリストであることは僕が今さらここで説明するまでもありません。
その内海さんからなんともったいないお言葉! 僕はこの時涙が出そうなくらいでした。有難かったんです。
僕は今でもこの内海さんの言葉を 「俺がベース弾いたるしお前もっとギター精進してええ曲書かんかい!」 という意味に解釈しています。
以降、内海さんのこの言葉によって、バンドはトリオでの活動をスタートさせることになります。
2003年秋、ジェリー・ロール・ベイカー誕生の瞬間でした。
~つづく~