バンドを始める決心をしてから、ギターも新しいものにする事にしました。僕は形から入るタイプかもしれません。
それまで使っていたフェンダーJのテレキャスターは永年の酷使でもうボロボロ、通常の使用には耐えられそうにありません。
フェンダーUSのメイプル指板のストラトも1本持っていましたが、どうも僕は今でもそうですがメイプル指板のギターに愛着がわきません。
てなことで新しいオーディオを買うために貯めていたお金を全部潰して、新ギター購入の資金に充てました。
あっちこっちのショップを回ること数日・・・、ようやくめぐり合えた相棒。

2001年の事でした。
念願のカスタム・ショップ製です。
その後あちこち手を加え、2006年9月に新しいギターにメインの座をゆずるまで、ストラトはこれ1本でセッション・ワークやライヴをこなしました。
今でも家で一人晩酌をする時に付き合ってくれるのはコイツです。
なかなかいいヤツです。
楽器の相棒には比較的すぐに出会えましたが、大変だったのはメンバーのほうでした。
なんせ10年も音楽の世界から遠ざかっていたのです。バンドやってる知り合いなんて僕の周りにはまったく居ませんでしたし、過去のメンバーたちも皆郷里に帰ってしまっていて、京都に残った者でもすっかりバンドから足を洗っていました。
新しいギターを手に入れたのはいいものの、僕は途方に暮れました。
でもどうしてもバンドがしたい!!やるなら今しかない!!という気持ちが僕の背中をいやおう無しに押しました。「なりふり」 はもうこの際かまっていられません。
楽器店のメンバー募集の掲示板、音楽雑誌のメンバー募集コーナー、果てはインターネットのメンバー募集サイトまで、僕の当時のレヴェルで考えられる全ての媒体に募集記事を出しました。家人が中学時代にブラバンに入っていたので、その友人たちにまで声をかけてもらうということまでしました。
最初のうちはなんの反応もありませんでしたが、足しげく楽器店に通っては記事の張替え、インターネット募集の更新・・・などしているうちに、ようやくポツポツと連絡が入るようになってきました。
「来るもの拒まず」 とは当時の僕のためにあるような言葉でした。僕は連絡をくれた人に 「とにかく会ってセッションしましょう!」 「先ずはスタジオに来てください!」 とどんな腕前・レヴェルかも判らないのに片っ端からそう声をかけました。今考えれば無謀なことだったと思います。ホントに色んな人たちとセッションしました。
例えば、
ハタチの京大生の場合・・・話しを聞いていると高校時代に郷里のバンドでベースの経験があり、京都でもバンドがやりたいとの事。しかし初めてスタジオに入った日、彼はギターアンプにベースのシールドを突っ込もうとしました。そしてアンプから出た音を聴いて一言、「おわっ・・・でっかい音するんすね」。
31歳社会人の場合・・・ビートルズの話題で盛り上がりスタジオへ。いざ音を出してみるとビートルズの曲に関しては鬼のように上手い。っていうか完璧なまでのコピー具合。しかしそれ以外の曲はまったく知らないし興味も無し・・・。
この他にも色んな人がいました。まったくの超初心者からその逆のプロ級な腕の人まで。反応はあってもさあ一緒にやれるか・・・となるとなかなか良いメンバーが見つかりません。
いつまで経ってもこの調子じゃ・・・。
僕は疲れ切ってしまいました。
もう諦めようか・・・、天は僕に諦めよと言ってるのかも・・・。と思いかけていた時、ほぼ時期を同じくして3人からの連絡がありました。ギタリスト、ベーシスト、ドラマー、パートもバランスよくバラバラです。僕はこのセッションに最後の望みをつなぐつもりでスタジオに向かいました。
京都駅近くにあるスタジオの駐車場に僕は居ました。
先ほどから隣の車の中ではなんだかヤニこい感じのおっさんが、バドワイザーの500ml缶をタバコをブカブカ吸いながら旨そうに飲んでいます。
約束の時間になったので僕は楽器を持って車を降り、スタジオの入り口へ向かいました。
ゆっくりと扉を開けると2名の男性が談笑していました。一人は中肉中背で純朴そうな青年、ドラムのスティックを持っています。もう一人はロックな長髪を後ろで束ね、キャップをかぶり、傍らにはギター。僕は咄嗟に彼らがセッション相手だと知り挨拶。二人ともとっても人あたりが良い感じです。とくに長髪の人はこちらが恐縮するほど腰が低いです。
ベーシストがまだのようです。しばらく話して待っているとスタジオの扉が開きました。見るとなんと、先ほどの車の中でビールをかっくらっていたおっさんです。細身の体型にゆらゆらと歩く姿はますますヤニこい感じです。肩にはベース、手にはもう1本ビール。聞くと 「ああ、これ? ・・・3本目や」 とゆっくりと答えが返ってきました。
4人で音を出しました。
課題にしていた曲は 「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」 「コカイン」 などでした。
これが実にいい!
良い時ってのは最初の一音からわかるもんです。
正直な話し、ドラムと僕のギターはなんだかバタバタしていましたが、長髪の人が弾くギターはロック魂全開!ヤニこいおっさんの弾くベースはタイトでグルーヴィー! 二人ともとてつもなくカッコいい!! こんな人たち、なんで今現在バンドやってないの!? と不思議なくらいのレヴェルでした。
僕は嬉しくて嬉しくて・・・。
何度も何度も同じ曲をやって、それでも嬉しくてまた同じ曲をやって・・・。ちょっとウンザリされてしまいました。
僕は彼らとバンドをやることにしました。
彼らも快諾してくれました。
やっとの思いで・・・、やっとの思いで・・・、ホントににやっとの思いでバンドを結成することができました。
この時の長髪ギタリストこそ、JRBの現ベーシスト・内海氏との初めての出会いでした。
2002年、まだまだ寒い初春の事でした。
~つづく~
それまで使っていたフェンダーJのテレキャスターは永年の酷使でもうボロボロ、通常の使用には耐えられそうにありません。
フェンダーUSのメイプル指板のストラトも1本持っていましたが、どうも僕は今でもそうですがメイプル指板のギターに愛着がわきません。
てなことで新しいオーディオを買うために貯めていたお金を全部潰して、新ギター購入の資金に充てました。
あっちこっちのショップを回ること数日・・・、ようやくめぐり合えた相棒。

2001年の事でした。
念願のカスタム・ショップ製です。
その後あちこち手を加え、2006年9月に新しいギターにメインの座をゆずるまで、ストラトはこれ1本でセッション・ワークやライヴをこなしました。
今でも家で一人晩酌をする時に付き合ってくれるのはコイツです。
なかなかいいヤツです。
楽器の相棒には比較的すぐに出会えましたが、大変だったのはメンバーのほうでした。
なんせ10年も音楽の世界から遠ざかっていたのです。バンドやってる知り合いなんて僕の周りにはまったく居ませんでしたし、過去のメンバーたちも皆郷里に帰ってしまっていて、京都に残った者でもすっかりバンドから足を洗っていました。
新しいギターを手に入れたのはいいものの、僕は途方に暮れました。
でもどうしてもバンドがしたい!!やるなら今しかない!!という気持ちが僕の背中をいやおう無しに押しました。「なりふり」 はもうこの際かまっていられません。
楽器店のメンバー募集の掲示板、音楽雑誌のメンバー募集コーナー、果てはインターネットのメンバー募集サイトまで、僕の当時のレヴェルで考えられる全ての媒体に募集記事を出しました。家人が中学時代にブラバンに入っていたので、その友人たちにまで声をかけてもらうということまでしました。
最初のうちはなんの反応もありませんでしたが、足しげく楽器店に通っては記事の張替え、インターネット募集の更新・・・などしているうちに、ようやくポツポツと連絡が入るようになってきました。
「来るもの拒まず」 とは当時の僕のためにあるような言葉でした。僕は連絡をくれた人に 「とにかく会ってセッションしましょう!」 「先ずはスタジオに来てください!」 とどんな腕前・レヴェルかも判らないのに片っ端からそう声をかけました。今考えれば無謀なことだったと思います。ホントに色んな人たちとセッションしました。
例えば、
ハタチの京大生の場合・・・話しを聞いていると高校時代に郷里のバンドでベースの経験があり、京都でもバンドがやりたいとの事。しかし初めてスタジオに入った日、彼はギターアンプにベースのシールドを突っ込もうとしました。そしてアンプから出た音を聴いて一言、「おわっ・・・でっかい音するんすね」。
31歳社会人の場合・・・ビートルズの話題で盛り上がりスタジオへ。いざ音を出してみるとビートルズの曲に関しては鬼のように上手い。っていうか完璧なまでのコピー具合。しかしそれ以外の曲はまったく知らないし興味も無し・・・。
この他にも色んな人がいました。まったくの超初心者からその逆のプロ級な腕の人まで。反応はあってもさあ一緒にやれるか・・・となるとなかなか良いメンバーが見つかりません。
いつまで経ってもこの調子じゃ・・・。
僕は疲れ切ってしまいました。
もう諦めようか・・・、天は僕に諦めよと言ってるのかも・・・。と思いかけていた時、ほぼ時期を同じくして3人からの連絡がありました。ギタリスト、ベーシスト、ドラマー、パートもバランスよくバラバラです。僕はこのセッションに最後の望みをつなぐつもりでスタジオに向かいました。
京都駅近くにあるスタジオの駐車場に僕は居ました。
先ほどから隣の車の中ではなんだかヤニこい感じのおっさんが、バドワイザーの500ml缶をタバコをブカブカ吸いながら旨そうに飲んでいます。
約束の時間になったので僕は楽器を持って車を降り、スタジオの入り口へ向かいました。
ゆっくりと扉を開けると2名の男性が談笑していました。一人は中肉中背で純朴そうな青年、ドラムのスティックを持っています。もう一人はロックな長髪を後ろで束ね、キャップをかぶり、傍らにはギター。僕は咄嗟に彼らがセッション相手だと知り挨拶。二人ともとっても人あたりが良い感じです。とくに長髪の人はこちらが恐縮するほど腰が低いです。
ベーシストがまだのようです。しばらく話して待っているとスタジオの扉が開きました。見るとなんと、先ほどの車の中でビールをかっくらっていたおっさんです。細身の体型にゆらゆらと歩く姿はますますヤニこい感じです。肩にはベース、手にはもう1本ビール。聞くと 「ああ、これ? ・・・3本目や」 とゆっくりと答えが返ってきました。
4人で音を出しました。
課題にしていた曲は 「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」 「コカイン」 などでした。
これが実にいい!
良い時ってのは最初の一音からわかるもんです。
正直な話し、ドラムと僕のギターはなんだかバタバタしていましたが、長髪の人が弾くギターはロック魂全開!ヤニこいおっさんの弾くベースはタイトでグルーヴィー! 二人ともとてつもなくカッコいい!! こんな人たち、なんで今現在バンドやってないの!? と不思議なくらいのレヴェルでした。
僕は嬉しくて嬉しくて・・・。
何度も何度も同じ曲をやって、それでも嬉しくてまた同じ曲をやって・・・。ちょっとウンザリされてしまいました。
僕は彼らとバンドをやることにしました。
彼らも快諾してくれました。
やっとの思いで・・・、やっとの思いで・・・、ホントににやっとの思いでバンドを結成することができました。
この時の長髪ギタリストこそ、JRBの現ベーシスト・内海氏との初めての出会いでした。
2002年、まだまだ寒い初春の事でした。
~つづく~