15才で初めてバンドを組んで、大学時代は毎日バンドと女の子のことしか頭に無いような生活をしていました。バイトで稼いだお金はほとんど全部音楽・酒・デートにつぎ込んでいました。
そのような生活を丸4年間続けて一応人並みに就職。一緒にバンドをやっていた友人たちはほとんどが郷里に戻り、僕もすっかりバンド活動から距離をおいてしまいました。またそのうち再開できるだろう・・・と甘い考えでタカをくくっていました。
ところが 「社会人」 というのはやはりバイト感覚とは違います。特に僕は営業部に配属されたため、ある程度のセールスの数字をあげないと上司につつかれます。僕はそのために休日出勤も厭いませんでしたし、就業後にお客さんや上司に誘われれば喜ん(だふりをして)で呑みに出かけたりしました。有給休暇だってあるにはありましたが使ったことなんてなかったです。
まだ商社会に馴染みきれない新人営業マンがそのような生活の中にあってはバンドどころではないです。まったくそれどころではありませんでした。
その当時 「今は無理やけど仕事覚えて余裕ができたら絶対時間作ってバンドをやる!」 と思ってはいましたが、いかんせんボロぞうきんのように疲れて帰宅して、泥のように寝るだけの毎日。楽器類はケースに入ったままの日々が続きました。
会社に入って丸3年、数字もあがるようになり、お客さんにも気に入ってもらえるようになり、社内でも何人かの後輩もでき、さあ!これから!という時に、僕は諸般の事情により会社を辞め、家業の小さな商売を継ぐことになりました。辞表を出したら当時の専務に呼び出しを食らい、2時間ぼろっかすに怒鳴られました。
家業は今までのスーツを着てアタッシュケースを持って商談に・・・などというスマートなものとはまったく違う、作業着を着て汚れてなんぼ・・・の商売でした。
また1からスタートです。
仕事を覚えることに必死でした。腐っても 「自分の商売」 です。僕が1番がんばらないと誰ががんばる・・・?以前にも増して自分の時間が無くなっていきます。もうバンドの事など考える余裕すらありませんでした。
そしてその秋に結婚~実父・実母との同居~養母の死~養父の死~実父・実母との別居~。
怒涛の数年間でした。
僕は19才の時に非常に辛い思いをしながら角谷家に養子に入っていたこともあり、養父の死によって問題が表面化し、それら諸問題は自ずと複雑化・・・、結婚した事以外は心底しんどい日々が続きました。
で、そんな時ふともう何年もケースにしまいっ放しになっていたギターを思い出しました。今でもアコースティック・ライヴで使用しているモーリスのアコギです。恐る恐るケースから出すと弦はサビサビ、ネックも反っているようです。適当にチューニングして弾いてみました。驚くほど指が動きません。ショックでした。なんだか悔しくて悲しくて意地になってさび付いた弦を真夜中であることも忘れて必死で弾きました。
「やりたい事」 は何なのか・・・、「やるべき事」 は何なのか・・・、自分の中で血を吐きつつ問うていた時期でした。
そんな夜が何日も続きました。
転機は間もなくやってきました。
娘の誕生です。
僕に家族ができたのです。
子供が生まれたことで、家人とも家族としての繋がりを改めて持てたような気がしました。
僕に家族ができたのです。
家族の存在は僕の考えを非常に前向きにしてくれました。
娘のために、家族のために、そして自分自身のために自分はどうあるべきか・・・。
現実問題も踏まえながら・・・。
いつも疲れた顔の父親が見たいか?
仕事のことしか言わない父親と話したいか?
「父さん元気で留守がいい」 そんな母子家庭にしたいか?
結論は簡単に出ました。
いつも輝いている家族であるため、いつも輝いている父であるため、「やりたい事」 「やるべき事」 どちらも手を抜くことなく一所懸命にやれば良いのです。
平日はフルパワーで仕事をし、フルパワーで自分の時間を過ごし、休日はフルパワーで家族との時間を持つ。
できない事はありません!
いや!それらこそが 「やりたい事」 そのものなのですから!
そう思った瞬間からジワジワとこみ上げてくる衝動を抑えることはできませんでした。
バンドがしたい!!
バンドがしたい!!
バンドがしたい!!
家人にその事を伝えました。
平日の僕は子供たちがまだ眠っている時間に出勤し、帰宅するともう就寝している時間です。なので休日くらいは子供たちと遊んでやってほしい・・・という家人の要望でした。先述のようにその辺については僕も家人と同様の考えだったので意見はうまくまとまりました。
家人は僕の目をしばらくじっと見て大きくうなずいてくれました。
就職、結婚、子育て、などの問題で解散もしくは自然消滅していく社会人バンドが非常に多い中、現在こうしてバンドを続けていられるのはホントに家人のおかげと感謝しています。
さあ!気持ちも決まって土台もかたまりました!
あとは楽器とメンバーです!!
~つづく~
そのような生活を丸4年間続けて一応人並みに就職。一緒にバンドをやっていた友人たちはほとんどが郷里に戻り、僕もすっかりバンド活動から距離をおいてしまいました。またそのうち再開できるだろう・・・と甘い考えでタカをくくっていました。
ところが 「社会人」 というのはやはりバイト感覚とは違います。特に僕は営業部に配属されたため、ある程度のセールスの数字をあげないと上司につつかれます。僕はそのために休日出勤も厭いませんでしたし、就業後にお客さんや上司に誘われれば喜ん(だふりをして)で呑みに出かけたりしました。有給休暇だってあるにはありましたが使ったことなんてなかったです。
まだ商社会に馴染みきれない新人営業マンがそのような生活の中にあってはバンドどころではないです。まったくそれどころではありませんでした。
その当時 「今は無理やけど仕事覚えて余裕ができたら絶対時間作ってバンドをやる!」 と思ってはいましたが、いかんせんボロぞうきんのように疲れて帰宅して、泥のように寝るだけの毎日。楽器類はケースに入ったままの日々が続きました。
会社に入って丸3年、数字もあがるようになり、お客さんにも気に入ってもらえるようになり、社内でも何人かの後輩もでき、さあ!これから!という時に、僕は諸般の事情により会社を辞め、家業の小さな商売を継ぐことになりました。辞表を出したら当時の専務に呼び出しを食らい、2時間ぼろっかすに怒鳴られました。
家業は今までのスーツを着てアタッシュケースを持って商談に・・・などというスマートなものとはまったく違う、作業着を着て汚れてなんぼ・・・の商売でした。
また1からスタートです。
仕事を覚えることに必死でした。腐っても 「自分の商売」 です。僕が1番がんばらないと誰ががんばる・・・?以前にも増して自分の時間が無くなっていきます。もうバンドの事など考える余裕すらありませんでした。
そしてその秋に結婚~実父・実母との同居~養母の死~養父の死~実父・実母との別居~。
怒涛の数年間でした。
僕は19才の時に非常に辛い思いをしながら角谷家に養子に入っていたこともあり、養父の死によって問題が表面化し、それら諸問題は自ずと複雑化・・・、結婚した事以外は心底しんどい日々が続きました。
で、そんな時ふともう何年もケースにしまいっ放しになっていたギターを思い出しました。今でもアコースティック・ライヴで使用しているモーリスのアコギです。恐る恐るケースから出すと弦はサビサビ、ネックも反っているようです。適当にチューニングして弾いてみました。驚くほど指が動きません。ショックでした。なんだか悔しくて悲しくて意地になってさび付いた弦を真夜中であることも忘れて必死で弾きました。
「やりたい事」 は何なのか・・・、「やるべき事」 は何なのか・・・、自分の中で血を吐きつつ問うていた時期でした。
そんな夜が何日も続きました。
転機は間もなくやってきました。
娘の誕生です。
僕に家族ができたのです。
子供が生まれたことで、家人とも家族としての繋がりを改めて持てたような気がしました。
僕に家族ができたのです。
家族の存在は僕の考えを非常に前向きにしてくれました。
娘のために、家族のために、そして自分自身のために自分はどうあるべきか・・・。
現実問題も踏まえながら・・・。
いつも疲れた顔の父親が見たいか?
仕事のことしか言わない父親と話したいか?
「父さん元気で留守がいい」 そんな母子家庭にしたいか?
結論は簡単に出ました。
いつも輝いている家族であるため、いつも輝いている父であるため、「やりたい事」 「やるべき事」 どちらも手を抜くことなく一所懸命にやれば良いのです。
平日はフルパワーで仕事をし、フルパワーで自分の時間を過ごし、休日はフルパワーで家族との時間を持つ。
できない事はありません!
いや!それらこそが 「やりたい事」 そのものなのですから!
そう思った瞬間からジワジワとこみ上げてくる衝動を抑えることはできませんでした。
バンドがしたい!!
バンドがしたい!!
バンドがしたい!!
家人にその事を伝えました。
平日の僕は子供たちがまだ眠っている時間に出勤し、帰宅するともう就寝している時間です。なので休日くらいは子供たちと遊んでやってほしい・・・という家人の要望でした。先述のようにその辺については僕も家人と同様の考えだったので意見はうまくまとまりました。
家人は僕の目をしばらくじっと見て大きくうなずいてくれました。
就職、結婚、子育て、などの問題で解散もしくは自然消滅していく社会人バンドが非常に多い中、現在こうしてバンドを続けていられるのはホントに家人のおかげと感謝しています。
さあ!気持ちも決まって土台もかたまりました!
あとは楽器とメンバーです!!
~つづく~