唐突な話しだが、誰でも自分が一番好きな言葉というか、堅苦しく言ってしまえば「座右の銘」みたいな言葉を持っているかと思う。
僕がそれを聞かれたときには迷わず次のように答える。
【意思あるところに道は開ける】
ジェリー・ロール・ベイカーを始める時に僕はこの言葉に背中を押された。
不遜な言い方に聞こえるかもしれないが、僕は自分さえその気になればできないことは無い!と思いながら日々を営むようにしている。何かに対して、できない・・・と思っている人は本当に120パーセント自分がそれを望んでいるのかどうかを、自分の心に先ず問うてみていただきたい。できない・・・のは強くはち切れんばかりにそれを望んでいないのではないか。必ず心のどこかに「ほころび」があるはずである。
という話しを以前友人としていたら、その友人曰く、「では誰もが東大に行きたいと思ったら行けるのか!?スポーツ選手だって皆オリンピックに行きたいと思って練習しているはず。望んだ全員がオリンピックに行けるのか!?」と、のたまいよった。
たしかにそうだ。
東大だって全員が合格を望んで受験するわけであるし、上の話しが正しければ今頃巷は東大出身者で溢れかえらんばかりであろう。
オリンピックだってスポーツやってた人間は全員が首から金メダルぶら下げて街を歩いているだろう。
だが僕はそう考える友人の心がとても悲しかった。
【意思あるところに道は開ける】
この言葉の本質はそのようなところには無いのである。
僕はこう考える。
人がある一つのことを心から望み、それに向けて必死の努力をする。
がんばってがんばって、まだまだがんばって、それを強く心に望み、たとえその道は険しく辛いものであったとしても、がんばって努力する。
が、しかし、結果は希望通りではなかった・・・・・。
その人の落胆は計り知れない。
こんなに努力したのに・・・・と血のでるような悔しさを味わう。
だがその人は決して敗者ではない。
全てを失ったわけではない。
「努力」という宝物を得ているのである。
どうせ無理・・・・と最初から諦めて何もしなかった人に比べて、「人」として間違いなく一段高い位置にランクアップしているはずである。いや、しているのである。
努力は無駄ではない。
自分の希望にむかって努力を惜しまない人と、そうでない人。
間違いなく両者の道の距離は開いていく。
僕は以前、ある人の話しを聴いた。
彼は幼いころから苦労に苦労を重ね、泥をなめるような生活を経験したあげく、現在立派な地位や幸福を手にした人物で、所謂誰もが認める「超一級の苦労人」だった。
そういう経歴の持ち主だったので司会者は、「この方は大変な苦労人で・・・」と彼を紹介した。
ところが壇上に上がった彼は先ず第一声に、「さきほど司会の方は私を『苦労人』とおっしゃいましたが、私は苦労などというだいそれた経験は何一つとしてしてきた覚えはございません! ただしかし、努力だけは他人様の何倍・何十倍もしてきたつもりです!」 と言ってのけた。
こんな話しを人前で胸を張ってできるように、努力は惜しむべきでない。
僕がそれを聞かれたときには迷わず次のように答える。
【意思あるところに道は開ける】
ジェリー・ロール・ベイカーを始める時に僕はこの言葉に背中を押された。
不遜な言い方に聞こえるかもしれないが、僕は自分さえその気になればできないことは無い!と思いながら日々を営むようにしている。何かに対して、できない・・・と思っている人は本当に120パーセント自分がそれを望んでいるのかどうかを、自分の心に先ず問うてみていただきたい。できない・・・のは強くはち切れんばかりにそれを望んでいないのではないか。必ず心のどこかに「ほころび」があるはずである。
という話しを以前友人としていたら、その友人曰く、「では誰もが東大に行きたいと思ったら行けるのか!?スポーツ選手だって皆オリンピックに行きたいと思って練習しているはず。望んだ全員がオリンピックに行けるのか!?」と、のたまいよった。
たしかにそうだ。
東大だって全員が合格を望んで受験するわけであるし、上の話しが正しければ今頃巷は東大出身者で溢れかえらんばかりであろう。
オリンピックだってスポーツやってた人間は全員が首から金メダルぶら下げて街を歩いているだろう。
だが僕はそう考える友人の心がとても悲しかった。
【意思あるところに道は開ける】
この言葉の本質はそのようなところには無いのである。
僕はこう考える。
人がある一つのことを心から望み、それに向けて必死の努力をする。
がんばってがんばって、まだまだがんばって、それを強く心に望み、たとえその道は険しく辛いものであったとしても、がんばって努力する。
が、しかし、結果は希望通りではなかった・・・・・。
その人の落胆は計り知れない。
こんなに努力したのに・・・・と血のでるような悔しさを味わう。
だがその人は決して敗者ではない。
全てを失ったわけではない。
「努力」という宝物を得ているのである。
どうせ無理・・・・と最初から諦めて何もしなかった人に比べて、「人」として間違いなく一段高い位置にランクアップしているはずである。いや、しているのである。
努力は無駄ではない。
自分の希望にむかって努力を惜しまない人と、そうでない人。
間違いなく両者の道の距離は開いていく。
僕は以前、ある人の話しを聴いた。
彼は幼いころから苦労に苦労を重ね、泥をなめるような生活を経験したあげく、現在立派な地位や幸福を手にした人物で、所謂誰もが認める「超一級の苦労人」だった。
そういう経歴の持ち主だったので司会者は、「この方は大変な苦労人で・・・」と彼を紹介した。
ところが壇上に上がった彼は先ず第一声に、「さきほど司会の方は私を『苦労人』とおっしゃいましたが、私は苦労などというだいそれた経験は何一つとしてしてきた覚えはございません! ただしかし、努力だけは他人様の何倍・何十倍もしてきたつもりです!」 と言ってのけた。
こんな話しを人前で胸を張ってできるように、努力は惜しむべきでない。