「蝉が、いると思って下さい。」
私は、そんな簡単に思える訳はない、この先生、何を言ってるんだむかつき
 
先生にそう言われて、ストレスを感じていた事に気がついたガーン
 
思えば、去年の、11月に叔母が亡くなった。
叔母は、施設に入居していたので施設から連絡があった。
亡くなる一週間前から「今夜が山です、もしもの時は電話をしますので、必ず電話に出て下さい」と言われ続けた汗うさぎ
 
それから、携帯電話を手放せなくなり、トイレに行く時も持っていき、お風呂に入る時は、さくちゃんに電話番をしてもらった。
 
そして、携帯がなる度にドキドキするようになった携帯
 
11月のある日、叔母の施設から電話があり、いよいよかと思った。
看護師が「今、医師と変わります」と言い、若い男性医師に変わった。
それは、叔母が今亡くなったと告げるものだった。
 
叔母は、母の叔母で私からすると大叔母にあたる。
母も、施設に入所してから私が、身寄りのない叔母の面倒を見ていた。
 
私は、まず、妹に連絡し弟に伝えて欲しいと言った。
妹は「私、そっちに行こうかはてなマーク」と言ったが、コロナ禍であったし、妹の主人が、入退院を繰り返していたので、大丈夫よと答えた。
 
私は、一人で叔母を見送る覚悟でいたので何も困る事もなかったし、さくちゃんが手伝ってくれてとても助かった。
 
叔母の死に対して、覚悟はできていたが、施設に迎えに行き、叔母と対面した時は、膝がガクガク震え、立っていられなくなりそうになり、胸が、ぎゅっと締め付けられた。
コロナが蔓延したから、施設は面会謝絶になり、危篤の時も寄り添えないと言われていたから叔母とは、久々の対面だった。
 
あまりに小さくなった叔母の姿と、殆ど毛が残っていない頭を見て ショックを受けた。
人は、こんなになってしまうのかと思うと悲しくなり、頭がクラクラした。
 
私は、強くいなきゃ!!と自分を奮い立たせ、体制を建て直した。
 
実は、この日母の入院が決まり、母の入院の準備と叔母の葬儀を同時進行だった。
さすがに、何をしているのか分からなくなり途方に暮れた。
今思えば、この時から相当なストレスを感じていたのかも知れない。
 
そして叔母が、亡くなってから、電話が鳴ると何故か怖くて、ビクビクするようになった泣