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日々の雑事の哲学的解釈

日常の出来事や社会問題、霊的なことや精神的なこと、心理学や医学的なこと、オカルト科学的なことで気づいたことや勉強したことを書き残すためのブログです。誰かの参考にでもなれば幸いです

日本では異様なまでに労働が美徳とされてるが、これは単なる資本家の洗脳である。奴隷が搾取されることを美徳と考えるなら、資本家にとってこれほど都合のいいものはない。

ところで、仕事というのは奇妙なものだ。厳密な科学的・数学的評価で成果に対する評価がされることはない。大抵は、売り上げや評判など、曖昧なものが指標になる。金で全てが評価されるとも言えるが、金は、科学的ではない。にも関わらず、毎日長時間、日本人はこの曖昧な評価のために働いている。するとどういうことが起こるか?幻想に囚われ、真実が見えなくなるのである。

シュタイナーは「昼間、人間の意識は眠ってる」と言った。目の前の作業にとらわれると、人は作業と作業の間の相互関係を考えたり、仕事全体を俯瞰的に見ることができなくなる。目の前にニンジンを釣られて、それに向かっていつまでも走ってるようなものだ。要するに、一生懸命仕事をしてる人は、自分で自分が何をしてるか分からなくなるのである。長時間労働であればあるほどそうだ。自然を破壊しようと、効きもしない薬を患者に処方しようと、客を騙して高い商品を売りつけようと、仕事を一生懸命してる人達は何も考えることはない。労働は美徳なのだから、自分達のすることは美しくて立派で偉くて素晴らしいことに決まってる。そのように考えて、いつまでもいつまでも破壊をやめようとしない。

その結果、精神病になる人や自殺する人が出ようと関係ない。彼等は「美徳な労働」というお遊戯を演じるのをやめようとしない。実際日本人の仕事ってお遊戯みたいではないだろうか?会議やミーティングに無駄に時間をかけ、勿体ぶった仕草をして、部下に悦に浸った説教をする。そして儲けた金で、また無駄な消費をすることで、無駄な仕事を増やし、更に自然や子供達の心をどんどんどんどん破壊する。

お遊戯ってのはしてる本人達は楽しいかも知れないが、あくまでお遊戯なので実体がない。つまり、人類の本質的な幸福には全く結びつかないのだ。先進国にある多くの無駄な仕事は、資源や食料を駄々をこねて集めた先進国という「子供」が演じるお遊戯なのだ。だから、この上なく無駄が多い。日本人の労働時間が長いということは、日本人が幼稚だということだ。

まあ…お遊戯をしてれば金を貰えるような社会だから、僕でも生きていけるとは言える。僕がもしも紛争地帯に生まれたら、生きてはいけなかっただろう。もちろんそれは、お遊戯に夢中になってる他の日本人も同じだが。

唯物論や拝金主義という夢の中で生きていられるのは、メルヘンチックに学芸会のお遊戯をしてる人間だけだろう。物事の実在を観ようとするなら…お遊戯を単なる演技と見抜く力があるなら…真の実在である霊的な世界の存在に気づくはずだ。

だが現在の日本人は長時間労働や詰め込み教育、大量消費、メディアによる洗脳などにより、完全にメルヘン世界の住人になってしまった。この物質世界が永遠のものと信じ、目に見えないものの存在を大切にしなくなった。

ここから醒めるには、多くの困難と苦しみが必要となるだろう。出口王仁三郎の予言、北からの侵攻により、日本の人口が3500万人まで減るというのがそれかも知れない。あるいは大地震などの自然災害によってもたらされるのかも知れない。その時のために今の人類にできることは、認識を深め、魂の力を強めることだ。人智学や霊的真理ってのは、そのために存在するのだから。

今現在長時間労働に苦しめられ、魂が悲鳴を上げてる人は沢山いると思う。だが、霊的な認識を深めるための努力はどんな人間にも可能だ。だから、抵抗するつもりで、シュタイナーの人智学や、霊的真理に関わる書物、心を感動させる芸術(もちろん音楽やアニメも)に触れる機会を増やして欲しいと思う。それが、人類の未来を左右するのだから。