模倣の苦痛、創造の苦痛 | 日々の雑事の哲学的解釈

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学校教育の弊害は一つ前の記事で説明したが、まだ十分でない。引き続き、学校教育がどれだけ子供達を洗脳し、創造力を破壊するかを解説していく。

さて、世の中に小説を描ける人は何人いるだろう?絵を描ける人は何人いるだろう?作曲できる人は何人いるだろう?

正解は皆できる。何故なら人間は創造的な存在だから。それが出来ないと思わせるのが学校教育であり、創造的な芸術に苦痛を感じさせるのが学校教育なのである。

テストで既に決まりきった正解を書くようになった子供はどんな人間に育つだろう?自分の想いを文章や絵や音楽で表現することが苦手になる。何故ならいつも正解があり、他人に評価されることしか表現してこなかったから、自分が表現したいことを、表現するのが怖くなってしまうのだ。だから、小説も書けないし、絵も書けない、作曲も出来ない人間に育ってしまう。これが今の学校教育の成果だ。

暗記やスポーツに打ち込むことは模倣だ。創造力溢れる人間にとっては物凄い苦痛だろう。創造力を失うことと引き換えに、偏差値だの他人からの評価だの金だのという、二束三文の褒賞を手に入れて喜ぶのが奴隷だ。そして人は模倣すればするほど、創造が苦痛になっていく。

人間は創造そのものに喜びを感じる存在なのに、模倣に明け暮れ創造力を窒息させた人間はその喜びを感じることが出来なくなり、代わりに食欲・性欲・名誉欲なんてものを満たすために奔走するのだ…金持ちになって贅沢な食事に明け暮れたり、大企業に務めて不倫したり、子供に英才教育を受けさせたり…なんて創造性のカケラもないことに投資し、ますます模倣を加速させ、人生を味気ないものにしていくのだ。

「創造」と「模倣」の関係については、クリシュナムルティの本を読むと分かりやすい。学校教育で破壊された創造力を取り戻すには、ある程度の苦痛が伴う。が、これ以上日本の教育の暴走は許されるものではない。個人個人がその努力を行い、破壊された創造力を再構築する必要がある。