さてこの認知バイアスの何が問題なのか?それは現実が不幸になることそのものよりも、むしろ「自分では自由に選択してるつもり」という点なのだ。さらに自分のことならまだしも、この認知バイアスを他者や現象に向けることで、本来なら解決可能であった問題を難しくするケースもある。
例えば、「部活をやってない人間は消極的だ」なんて概念がまかり通っていたとしよう。心理学的に統計か何かのデータを取って出してもいい。さてこの結果がまかり通ると、 どんなことが起こるだろう…それは部活に所属しない人への差別的な仕打ちであったり、部活の神格化であったりするかも知れない。その結果部活に所属しない人が、本当に消極的になってしまうかも知れない。つまり統計的に導き出した結果自体に何らかの相関関係があったとしても、その因果関係をハッキリさせないまま、現実に適応させてしまうと、かえってその現実を歪めてしまい、本来であれば活発であった人間まで消極的にしてしまう。プラシーボ効果の一種とも言えるが、現実はこんな無理矢理なこじつけがあらゆる所でまかり通っている。ネガティブな人間を非難する人は多い。が、上の事実を考慮するなら批判という行為そのものがネガティブな現象を呼び起こすものでもあるのだ。それが立場の強い人間や集団から個人に向けられた場合は尚更だ。故に統計に基づく判断(ジャッジ)はいくら統計学的に有意であろうと、その結果を社会や個人にフィードバックすること自体が、統計結果を強固にしてしまう危険性があるのだ。
量子力学でいうなら、観測者が観測が実験結果に影響を与えることを知らずに実験結果を普遍的なものとしてしまい、自分の観測方法を固定させ、実験結果を固定させて、現象そのものを勝手に決めつけてしまうようなものだ。当然科学的とは言えないし、多くのネガティブな現象を引き起こしてしまうだろう。
故に「人生において○○は△△だ」、「□□な人は××だ」「心理学的に~はーだ」みたいな決まりごと?や法則(と言われてるもの)は、実はその「概念」を社会にフィードバックしてしまうこと自体がかえって社会を悪化してしまっているのに気づいてない人は多い。にも関わらず、あらゆる世間的常識や暗黙のルール、偏った価値判断や悪しき風習は根強くこの社会に蔓延っている。自身が観測者として実験結果に影響を与えていないか厳密に注意することが、問題解決の上で重要になってくるのではないだろうか?
そう考えたらビッグデータの活用方法も問題に思うことがいくつか出てくる…ビッグデータに基づいて出した答えをビジネスにフィードバックすること自体が次のデータに偏りを持たせ、本来のデータの有機性を歪めてしまうのではないだろうか?効率化を進めているようで、実は余計な手間を生み出してる可能性もあるのだ。それだけ統計には騙しのテクニックがあると考えれば…それで経済的利益を得ることも出来るのかも知れないが…。
