最近はブログの更新を怠けがちで申し訳ありません。
今月からは何とか頑張って、3日に1回は更新したいと思っています。

今回は「待つ」ということについて書いてみようと思います。

人は春を待ったり、電車を待ったり、注文を待ったり、恋人の誘いを待ったりと、色々な物事を待ちながら暮らしています。

人生の半分以上は待つことだと言っても過言ではありません。

人間同士の付き合いは、相手のことを待てるかどうかで大きく変わってしまいます。

待つことが苦手な人は人生で成功するのは難しいでしょう。

「待つ」というのは消極的な態度ではなく、何かの目標に向かって気持ちが進んでいる状態です。

また、「待つ」という言葉には、叙情的で詩的なイメージも感じられます。

人が何かを待っている状況は、光と影の様々な人間模様を連想させます。

概ね恋愛に於いては、待つのは女性で待たせるのは男性というのが通説です。

「男はいつも待たせるだけで、女はいつも待ちくたびれて♪」と松山千春も歌っていました。

最近は草食系男子が増えて、待たされる女性が増えているようです。

歌には待つことをテーマにした曲が沢山あります。

そしてそれらの多くが女性が男性を待つという内容です。

有名なものでは五木ひろしの「待っている女」があります。

この歌では、夜にコートを着た女性が、寂しそうに男性を待つ姿が描写されています。

結局その男性は現われず、女性の恋が終わったことを悲しく歌っています。

小林 旭の「昔の名前で出ています」では、「貴方が探してくれるのを待つわ」と、女性が男性を待っています。

また、荒井由実の「まちぶせ」では、偶然を装い好きな彼氏の帰りを待ち伏せしている女性の行動が歌われています。

その他にも、あみんの「待つわ」、ペドロ&カプリシャスの「ジョニーへの伝言」、 二葉百合子.の「岸壁の母」などが思い浮かびます。

これらはみな、女性が男性を待っているという内容の歌です。

女性はこんなにも待つことが好きなのでしょうかね?

岸壁の母は、戦争に行った息子の帰りを岸壁で10年間も待ち続けます。

こんなに長い間息子のことを待ち続けられるお母さんは、まさしく「完璧の母」ですね(笑)

「待っている」状態には、自分から進んで(好んで)待っている場合と、逆に人や時間などによって待たされている場合があります。

人と待ち合わせをしている時、約束の時間が来るまでは「待っている」状態ですが、時間を過ぎたら「待たされている」状態に変化します。

自主的に「待っている」場合は、自分にとって好ましい状況や楽しい出来事が起ることを期待しています。

つまり、 物事・人・時が来るのを予期し、願い望みながら、それまでの時間を過ごします。

この場合は、待つことは別に辛いことではなく、むしろ楽しみでもあります。

行列が出来るお店で順番を待つ人は、待った結果により美味しいものが食べられるという楽しみがあるから待てるのです。

何の楽しみもない事を待っている人はいません。

「待たされてれいる」状況は、時に人をイライラさせトラブルの原因にもなります。

仕事が遅い人がいて、その人の仕事が終わらないと自分の仕事が進まないような場合、短気な人は「いつまで待たせるんだ、早く終わらせろ!」とイライラした態度を示します。

でもそんな時でも、余裕をもって相手を待っていられる人は、見ていて寛大さや包容力が感じられます。

待たされる原因は、ほとんどが人の都合によるものか、天候や事故などの不可抗力によるものです。

或いは、相手には待たせている自覚が無く、待っている側が勝手に待たされていると勘違いしているかです。

「待たされている」と感じるのは、その人の気持ち次第です。


私は昔から追いかけるよりも待つ性格でした。

どちらかと言えば、待つことが好きなタイプかもしれません。

ですから、待ち合わせで1時間くらい待たされても苦ではありません。

女性に対してはいつも待ちの姿勢で、自分から積極的にアタックすることもありませんでした。

「ただ待っているだけでは幸せは来ない」と言う人がいます。

でも、「果報は寝て待て」という諺もあるように、夢や幸福は追いかけるより静かに待っていたほうが手に入り安いと思っています。

これからも、気持ちに余裕を持って待てる人間であり続けたいと思っています。