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ピコ太郎のPPAP「ペンパイナッポーアッポーペン」が大ブレイクしています。

 

もう聞き飽きたというきらいもありますが、まだまだその勢いは留まるところを知りません。

 

初めてこの曲を聴いた人は、何が面白いのか?なぜ人気があるのか?と素朴な疑問を持ったと思います。

 

私もこの曲はそれほど音楽的に優れた作品とは思いませんでした。

 

でもリズムのノリがよく、覚え易い曲であることは事実です。

 

最近はつい替え歌にして口ずさんでいる私です。(笑)


今回は音楽がどのようにして生まれ、私達がどのように音楽を認識しているかをお話します。


音楽の起源には諸説ありますが、そのひとつが「音楽は激した言葉の調子に、その本質的源泉をもっている」というものです。

 

つまり声音(ものを話しかける際の抑揚)が音楽の起源だというものです。


一方これとは逆に、言葉とは関係なく、別個に音楽の意識というものが生まれたという説もあります。

 

「音楽は現象界から全く独立しているものであって、また、現象界を全く無視しているものである。いわば、現象の世界が全然存在しないとしても、なお成立し得るものである」

 

即ち、音楽は現実の世界とは無関係の純粋独立、自由の芸術であるというものです。


現在は原始民族の音楽が研究された結果、後者の説が有力であるとされています。


原始民族は、詩、踊り、音楽を同一の名称で呼んでいます。

 

踊りには詩と太鼓がつきものであり、音楽は単独ではなく、常に詩や踊りと結合しています。

アフリカの原住民が打楽器を叩き、踊りながら歌っている姿を見たことがあると思いますが、あの光景こそ音楽の起源を表しています。


原始民族は律動に対する判断力は優れていますが、旋律に対しての判断力は貧弱です。

彼らは音の高低に関しては微々たる観念さえ持っていません。

 

彼らの歌は3音程度の音をあるいは高く、あるいは低く交互に用いるだけで、それは歌というよりは怒号に近いものです。


原始民族がそうである様に、私達の祖先もそのような形の音楽から入ってきたことは疑う余地はありません。


音楽には、律動、旋律、和声の3つの要素があります。

 

律動は筋肉的な反応、旋律は感情的な反応(情緒や抒情)を引き起こします。

 

ただし、旋律に対する感覚は律動無しには存立できず、常に律動を内にもっています。

律動無しにはどんな音楽も成立しません。


ただ、律動的な音楽は本能的で身近なものであるため、一般に下等な音楽と考える風潮が生まれやすいのです。

 

でも、この考え方は間違っていると思います。

打楽器だけでも十分音楽になり得ますし、律動感のない音楽は詰まらない味気の無いものに聞こえます。

 

宴会等などで、お皿をチャンチャカ叩きながら酔っ払いが歌っている光景は、まさに音楽の原点を象徴しています。


人は幼少の頃は律動的な物に興味を持ちます。

 

ガラガラやでんでん太鼓に興味を持ち、律動感の強い打楽器に近いオルゴールやピアノを好みます。

 

幼児が美しい旋律に感動したなんて話は聞きません、旋律の美しさを意識するのは抒情に目覚める年齢になってからです。


また和声についても、原始音楽では和声の美しさをとりいれたものは極めて稀です。

 

ヨーロッパでも和声が意識されたのは9世紀に入ってからです。

 

邦楽の歌、民謡、長唄、舟歌などでも、ただ1本の旋律でふたつの高さの違った旋律が同時に重なり合うことはありません。


音楽の本質は律動であり、旋律や和声はその後に付随されたものです。


”律動・旋律・和声”、この3つの要素が統合され完全な音楽が誕生したのです。


PPAPは律動が強調された音楽であり、リズム感がよく、踊りも付加され、音域も狭いので誰でも歌いやすい曲になっています。

 

この点がこの曲が受け入れられた理由とも考えられます。


音楽は言葉のようにある特定のものを説明するものではありません。

 

音がどのように美しく構成され、運動するかを楽しむものです。

音楽には余計な思想や哲学は必要ありません。


最近は私ものんびりと音楽を鑑賞する時間が増えてきました。

 

今は見たい番組がある時以外はTVは点けないようにしています。


現代は生活の中で、ラジオ、TVなどから強制的に心境とはなんら関係ない音楽が暴力的に降りかかります。

 

CMでは音楽によってできるだけ強烈な印象を与えて、人の購買欲を高めようとします。

スーパーマーケットやパチンコ店でも煩いほど音楽が流れ、人の神経を刺激します。

 

もはや人間が音楽に支配されている時代です。

 

こうなると音楽は単なる音響であり、どんな粗雑な作品でも音楽とみとめられることになります。


音楽を精神の糧として受け取れる時代ではなくなったのです。

 

音楽を音楽として受け取る事ができずに、真の音楽を聞き分ける心と耳を失いつつある現代。

 

なんら精神的準備もないまま、突然あらわれる音楽に我々は翻弄され、音楽に操られているのです。


今こそ生活の中の雑音から逃れ、本当に聴きたい音楽をゆくり鑑賞する時だと感じます。

 

演奏会やコンサートに行って音楽を聴く人もいると思いますが、それは日常の音楽に触れる割合からは微々たるものです。


音楽は沢山聴けば良いというものではなく、必要な時に選ばれた音楽を聴くことが大切です。


まだまだ書き足りないことはあるのですが、長くなるので今日はこの辺で終わりにします。


長文に付き合って頂きありがとうございました。
 

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