2010年1月31日、日中両国の有識者による歴史共同研究の報告書が発表されたが、中国メディアの報道ぶりは控えめだ。その中で、1日付中国紙・新京報は、報告書が学術研究の成果と強調した上で、日中戦争をめぐり「日本側が侵略戦争であると認めた」と評価している。

日本メディアは南京大虐殺の犠牲者数の違い(中国側は30万人、日本側は2~20万人と主張)など報告書の具体的な相違点を取り上げ、日中の歴史認識の違 いについて確認する報道が目立つ。一方、中国本土のメディアは具体的な内容についての記述をひかえ、中国側委員のコメントや報告書発表にこぎつけた成功を 評価する抽象的な報道が目立つ。

日本の大陸進出が、侵略だったか否かについて、色々と異なる意見がある。

一方では、戦前の日本は全て悪、日本人はナチスに匹敵する極悪非道な民族で、未来永劫土下座し続けるしかないとする、社会党・朝日新聞的自虐史観があり、

また一方では、日本は自衛のためにやむなく周辺国家に進出するしかなかったのであり、むしろ被害者、アジアの解放者であるとする、ゴーマニズム・田母神的自己肯定史観がある。

このような甚だしい食い違いが生じる理由は、事実認識の違いだけでなく、日中双方が現代の価値観からするとねじ曲がった戦い方をしていたことが大きいように思われる。

つまり、日本は中国を「合法的に侵略」し、一方中国は日本に「非合法に抵抗」した。
合法・非合法の観点では、日本に理があるが、そもそも侵略と抵抗という点では、中国に同情すべき点がある。

ここでは、もっとも顕著な具体例として「義和団の乱」 をあげる。

義和団の乱(ぎわだんのらん)は、1900年に起こった、中国清朝末期の動乱である。

義和団は『西遊記』『三国志演義』などの登場人物を神として祀り、それらが乗り移った者は、刀はおろか銃弾すら跳ね返すような不死身になると喧伝しつつ暴力的な排外運動をおこなうシャーマニズム的秘密結社だった。

清国政府が同情的であったこともあって、やがて首都北京周辺が義和団であふれかえるまで膨張し、取り締まりを求める列強と、清国政府の間で緊張が高まった。

そして、北京の警備兵に日本公使館書記が殺害され、数日後今度はドイツ公使ケットラーが義和団に殺害されるという事件がおきた。

義和団及び列強連合軍に対しどう対処するかについて、政府の実権を握っていた西太后は、欧米列国に対する宣戦布告を決定した。激昂に駆られた無謀かつ感情的な決定である。

宣戦布告後2ヶ月も経たないうちに首都北京及び紫禁城は列強八カ国連合軍に制圧された。

北京や天津に日本を含む列強の駐兵権を認め、また巨額の賠償金が科され、清国は「半植民地」ともいうべき状態に陥った。


「盧溝橋事件」について

「なぜそんなところに日本兵がいたのだ。日本が中国を侵略したから戦争になったのだ。」

という意見があるが、中国人が在留外国人を殺しまくり、政府がその取り締まりを拒否するどころか、便乗して戦争を仕掛けて、しかも負けて、

「居留民の保護は列強の軍がおこなう」

という条件をのまされたから、日本軍がいたのだ。
中国の意に反するが、合法的に駐留していたということになる。

この状況を現代の人間が正しく理解するのは相当難しい。