現実世界を生きていると、形のあるもの、目に見えるものについこだわりすぎてしまう。
本当は全て内側にあると言うことを頭ではわかっているのに、現実の世界に入り込むと形のあるものや見えるものにとらわれてしまう。
美しいものを見たとき、それが美しいから美しさを感じると思う。
嫌なことがあったとき、次は同じ経験をしないようにと考える。
しかし、実際内側で起こっているのは、もともとあった内側にあったものを経験しているだけに過ぎない。
内側にあった美しいものに感動すると言う記憶が今目の前にある風景を通して現れている。
もし本当に目の前にある形のあるものにそれらの意味があるのであれば、どんな時でも誰が見ても、同じことを皆、一様に感じるはず。
美しい夕日に感動したり、イライラしたり、悲しくなったり、人や状況によって変化する。
全ては内側から湧き起こってくる。
内側が最初それが外側に現れてくる。
これは絶対の順番で逆はありえない。
実際、目に見えるものにはあまり意味がなかったりする。
内側を見る。
美しい風景を見て感動する。感動するその心、そのエネルギーをしっかりと感じる。それは目の前の風景に属するものではなく自分の内側のこと。
おいしいものを食べておいしいと感じる、その食べ物そのものではなくて、おいしいと感じる心をみる。
誰かを憎いと思って、相手の顔を思い出すのではなく、憎いと思う気持ちをよく観察してみる。
もちろんこれは現実生活をないがしろにして、内側だけを見つめているのがスピリチュアルな生き方とか言っている訳ではない。
時間を作ってスピリチュアルをやっている時だけ、日常生活から逃れて一人になって、ほっとした瞬間だけのスピリチュアルではなく生活全てにおいて、スピリチュアルを取り入れたマインドで生きていくということの提案である
私たちはこれから更に上昇エネルギーに乗って行く、そして現実にはでこぼこした現象も出てくると思われる中でも内側から光を放っていくのだから、現実の日常から内側を見つめてカルマの解放やカルマを作り過ぎないマインドでいることはアセンションしていくならとても意味のある生き方になります
サラサラと軽いマインドを保って光を放って行きましょう