(今日の内容は前回のブログ内容が数年前の私とすると、今の私という内容です。流されて呑まれても戻りが早いです。)

ここ数日小学生の娘がインフルエンザで40°を超える発熱で、私は数日間母親としてのアイデンティティ全開で看病と家事に身を投じていた。

こんな時は大抵ハイヤーセルフから試されている感じがあり、自分軸でいられるか、内側で起こっていることにジャッジしないで気づいていられるか、になるのだけど やはり子供のこととなると母親と言う自我にただただ圧倒されるばかり笑笑 




加えて自分軸でいなければならない!という律する自我と湧き上がる心配、不安に揺らぎ、飲まれ、病院や処方箋からの情報にも踊らされて、ふらふらで食事も摂れない娘に対する早く元気になって欲しい、幸せでいて欲しいという期待。受験生の上の子にはうつさないようにしなければ、PTAの仕事が休み辛い…など、とにかく内側は普段意識の底にあるものが湧き上がってぐるぐるに渦巻いている状況笑


そんな状況で、私の可愛い娘!という「私の」という子供を所有している強い母親としての自我もしっかりどっしりいると再確認、もちろん気づく(受け入れる)以上(以外)のことをすれば更なる混乱が待つだけなのでただ気づくだけ、やるべきことをやるだけ。自我を消すのでなく、眺める 距離をとる、という感じ。


とは言えずっと穏やかにいられる訳もなく心配に呑まれていきます……あきらめです笑 呑まれる時は呑まれます、戻ればいいんです笑




そんな中、日課の瞑想をしていると、騒がしさに疲れた心が瞑想を始めた途端に安らいでいく感覚がとても強く、そして 私の子ども、と強く握りしめていた手が自然に解けて、彼女もまた愛で光で神なんだと安らぎの中で我が子を手放し本来の流れに戻りました それはとても自然に起こり流れていきます




手放しや統合は強くやろうとするとスピリチュアルしたい自我になってしまうし、ただ流されて呑まれても変わらないので、芯はあるけどゆっくり ゆる〜く無理なくが良いかなと思います
強く握りしめて固くなったことほど、よく言う玉ねぎの皮を剥くように繰り返し根気強くですね〜 


今は娘の熱も下がり、これから数日は出席停止期間をのんびり過ごせそうな感じです。


我慢強い自我さん、お疲れ様、どうぞ緩んでください笑