春はもうすぐですね。今日は朝、中央線の車窓から富士山が・・・真冬の時のように澄み切った空に浮ぶ富士山ではなく、なんとなく霞がかかったような富士山でした。
なんか春ってとっても響きのいい言葉ですね。春と言うだけでなんか心がウキウキと・・・。
先週はは久し振りに仕事も一段落。インドの案件も無事終了したと思ったら・・・今週はもっと難関なシンがポールの案件が舞い込んできました。今日は久し振りに22時まで仕事。明後日からまた大変!
でも、これまでも、確かに仕事ではいろんな大変な案件があったけど・・・こうして振り返ってみると、全てなんとか解決できているんですよね。
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」って本当にその通りだなぁとつくづく思います。
これまで、ある案件に取組んでいるとき、もう駄目だって思っても、全てなんとか無事に解決できている。それも全ていい方向に・・・。
「夢はその思いが強いと実現する」・・・これも確かにその通り。
ボクの夢。高校生の頃思っていたことは、外国に行きたいということ。高校2年からは必死で英語を勉強したかな。高1の英語は、悪い時は学年で真ん中以下だったこともあったのに・・・。塾にも行かず独学で、高3の最後の進研模試だったかなぁ、県内では大学受験者が皆受ける試験で、なんと学校で1番、県で1番に。
そういう下積みがあったからか、大学2年の時に、当時総理府主催の国際交流プログラムに参加。日本代表35人の1人に選ばれました。2ヶ月英語での生活。船の中で日本人35人以外は外国人が180人。英語でのディスカッション、文化紹介、東南アジア各国でのホームステイなどなど。
そして、学生時代に何度か東南アジアを訪問し、卒業旅行では、ヨーロッパとモロッコの一人旅。英語ができると、どこでもすぐに友達ができますよね。一緒にホテルに泊まったり、途中一緒に旅行したり・・・モロッコでは地中海を渡る船の中で知り合ったモロッコ人の家に招待され、泊めてもらい・・・。
社会人になってから、この海外に行きたいという思いはますます強くなったかな。
社会人1年目に海外留学の候補10名に選ばれ、秋から語学学校に会社のお金で通わせてもらったかな。2年目に実際にTOFELとGMATを受け基準点に達したことから、会社が指定する全米Top20の大学院へ自分で入学願書を取り寄せ、秋から冬にかけて出願。各大学によりエッセイの提出や、日本での出身大学の先生に推薦状を英文で書いてもらったり(実際は自分で書いて先生にサインをもらう)などなど、10校ほど願書を出したかな。
そして、春には3校に合格。
そのうちの1校は英語学校の先生と言っても1つ下の女性でしたが(彼女は大学時代に留学経験があり・・・)、なんとその彼女も大学院を受験していて、同じ大学に合格。その子には社会人1年目のお正月に安城の実家に呼ばれて・・・彼女の友達5,6人呼んでいたようですが。
そして、3年目から合格した一つのNYUに留学。
当時はバブル期ということもあり、なんと1学年360人のうち、日本人は40人(今年はたったの3人とか)。マンハッタンのアッパーイーストに2年間住みました。Metropolitan Museumまで歩いて20分くらいだったかなぁ。休みの日にはセントラルパークに本を持ち込んでゆっくり過ごしたり・・・。
勉強は大変だったけど、夏休みはたっぷり2ヶ月以上、冬休みも1ヶ月はあり・・・。会社から給料をもらいながら授業料もすべて出してもらい・・・、休みには海外旅行へ。
アメリカ国内もナショナルパークをあちこち行き、カナダ、メキシコにも。最初の冬休みはイギリスへ。ケンブリッジに留学した友人とクリスマスの時に彼の友人のウェールズの自宅にホームステイ。1月にはメキシコのカンクーンとチチェイン・イッツアーのマヤ遺跡へ。
次の夏休みは40日間北欧、東欧、イスラエル、エジプトへの一人旅。北欧は北緯71度のノールカップへ。途中ドイツ人のカップルの学生と一緒に行動。一緒にユースホステルに泊まり・・・。(そのドイツ人の女子学生がボクの目の前で下着姿になって着替えだしたのにはびっくり。笑うと笑顔が可愛い子だったのに。なんかこっちがドキドキ!ドイツ人の女性はそういうことに無頓着なんだろうか!?)
そして、北欧を全部回ったあと、東欧諸国もビザを準備して全てまわる。ベルリンの壁の崩壊前の年。東ベルリンのデパートでは、一昔前のような商品が売られていたのにはびっくり。
ポーランドでは、一般家庭の家に宿泊。車が長い列をなしているので何かと思ったら、ガソリンを待つ列。アウシュビッツの強制収容所へも。今でも想い出すだけで、涙が出そうになりますね。
アウシュビッツでは400万人のユダヤ人が亡くなったとか。いや大量逆殺・・・。亡くなった方の、メガネや靴や頭髪が展示室に束になっての展示・・・。二度と繰り返してはならない歴史ですね。
そして、また行ってみたいチェコのプラハとハンガリーのブダペスト・・・。ドナウ川の川くだりも体験。ユーゴのベオグラードではチトー記念館に。日本の天皇陛下からの贈り物が飾られていたかなぁ。
そして、ルーマニアのブカレスト・・・。ちょうどチャウチェスク全盛の時。街中にチャウチェスクの肖像画が飾られていて・・・。当時は社会主義の末期。どうしようもないほど、国自身が貧しい時でしたね。
ブカレストの街はほこりだらけ、かつ犬は食料もないのか可哀想なくらいやせ細って・・・。
ブルガリアのソフィア。ここで覚えているのは・・・ここはソビエトと文化的にも関係が深いのか街中がキリル文字。ここで変な日本人のお坊さんに出会ったかなぁ。
その後、ギリシア、エルサレム、テルアビブ、エジプトへ。
2年目の冬休みは南米をぐるーっと20日くらいかな?この時は日本人の留学生と二人で。ペルーのリマ、クスコ、マチュピチュへ。そしてチりのサンチャゴ・・・。アルゼンチンのブエノスアイレス、ブラジルはリオデジャネイロ、サンパウロ、サントスへ。国境のイグアスの滝にも。最後にエクアドルのキトーへも。昭和天皇が亡くなったのはサンチャゴからブエノスアイレスへ向う飛行機の中。隣の人が読んでいる新聞で知りました。
などなど。普段できるだけ、自炊をして生活費を抑えたので、なんか会社のお金で旅行もさせてもらったような・・・
そして、卒業。あのガウンをまとっての卒業式・・・。マンハッタンのワシントン・スクエアでの卒業式は・・・懐かしいですね。
卒業後も1ヶ月くらいはNYにいたかな。そして日本に3ヶ月だけ帰国し、次の勤務地であるロサンジェルスへ。と、まさに海外に行きたい、海外で仕事をしたいと思っていたら、まさにその通りに・・・。
これって思いが強かったから実現したのか、それを目的に生まれる前に決めてきたのか・・・。
さて、それでは今の思いは何なんだろう?
思いを実現するためには、何かを思わないと・・・駄目ですね。
なんか春ってとっても響きのいい言葉ですね。春と言うだけでなんか心がウキウキと・・・。
先週はは久し振りに仕事も一段落。インドの案件も無事終了したと思ったら・・・今週はもっと難関なシンがポールの案件が舞い込んできました。今日は久し振りに22時まで仕事。明後日からまた大変!
でも、これまでも、確かに仕事ではいろんな大変な案件があったけど・・・こうして振り返ってみると、全てなんとか解決できているんですよね。
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」って本当にその通りだなぁとつくづく思います。
これまで、ある案件に取組んでいるとき、もう駄目だって思っても、全てなんとか無事に解決できている。それも全ていい方向に・・・。
「夢はその思いが強いと実現する」・・・これも確かにその通り。
ボクの夢。高校生の頃思っていたことは、外国に行きたいということ。高校2年からは必死で英語を勉強したかな。高1の英語は、悪い時は学年で真ん中以下だったこともあったのに・・・。塾にも行かず独学で、高3の最後の進研模試だったかなぁ、県内では大学受験者が皆受ける試験で、なんと学校で1番、県で1番に。
そういう下積みがあったからか、大学2年の時に、当時総理府主催の国際交流プログラムに参加。日本代表35人の1人に選ばれました。2ヶ月英語での生活。船の中で日本人35人以外は外国人が180人。英語でのディスカッション、文化紹介、東南アジア各国でのホームステイなどなど。
そして、学生時代に何度か東南アジアを訪問し、卒業旅行では、ヨーロッパとモロッコの一人旅。英語ができると、どこでもすぐに友達ができますよね。一緒にホテルに泊まったり、途中一緒に旅行したり・・・モロッコでは地中海を渡る船の中で知り合ったモロッコ人の家に招待され、泊めてもらい・・・。
社会人になってから、この海外に行きたいという思いはますます強くなったかな。
社会人1年目に海外留学の候補10名に選ばれ、秋から語学学校に会社のお金で通わせてもらったかな。2年目に実際にTOFELとGMATを受け基準点に達したことから、会社が指定する全米Top20の大学院へ自分で入学願書を取り寄せ、秋から冬にかけて出願。各大学によりエッセイの提出や、日本での出身大学の先生に推薦状を英文で書いてもらったり(実際は自分で書いて先生にサインをもらう)などなど、10校ほど願書を出したかな。
そして、春には3校に合格。
そのうちの1校は英語学校の先生と言っても1つ下の女性でしたが(彼女は大学時代に留学経験があり・・・)、なんとその彼女も大学院を受験していて、同じ大学に合格。その子には社会人1年目のお正月に安城の実家に呼ばれて・・・彼女の友達5,6人呼んでいたようですが。
そして、3年目から合格した一つのNYUに留学。
当時はバブル期ということもあり、なんと1学年360人のうち、日本人は40人(今年はたったの3人とか)。マンハッタンのアッパーイーストに2年間住みました。Metropolitan Museumまで歩いて20分くらいだったかなぁ。休みの日にはセントラルパークに本を持ち込んでゆっくり過ごしたり・・・。
勉強は大変だったけど、夏休みはたっぷり2ヶ月以上、冬休みも1ヶ月はあり・・・。会社から給料をもらいながら授業料もすべて出してもらい・・・、休みには海外旅行へ。
アメリカ国内もナショナルパークをあちこち行き、カナダ、メキシコにも。最初の冬休みはイギリスへ。ケンブリッジに留学した友人とクリスマスの時に彼の友人のウェールズの自宅にホームステイ。1月にはメキシコのカンクーンとチチェイン・イッツアーのマヤ遺跡へ。
次の夏休みは40日間北欧、東欧、イスラエル、エジプトへの一人旅。北欧は北緯71度のノールカップへ。途中ドイツ人のカップルの学生と一緒に行動。一緒にユースホステルに泊まり・・・。(そのドイツ人の女子学生がボクの目の前で下着姿になって着替えだしたのにはびっくり。笑うと笑顔が可愛い子だったのに。なんかこっちがドキドキ!ドイツ人の女性はそういうことに無頓着なんだろうか!?)
そして、北欧を全部回ったあと、東欧諸国もビザを準備して全てまわる。ベルリンの壁の崩壊前の年。東ベルリンのデパートでは、一昔前のような商品が売られていたのにはびっくり。
ポーランドでは、一般家庭の家に宿泊。車が長い列をなしているので何かと思ったら、ガソリンを待つ列。アウシュビッツの強制収容所へも。今でも想い出すだけで、涙が出そうになりますね。
アウシュビッツでは400万人のユダヤ人が亡くなったとか。いや大量逆殺・・・。亡くなった方の、メガネや靴や頭髪が展示室に束になっての展示・・・。二度と繰り返してはならない歴史ですね。
そして、また行ってみたいチェコのプラハとハンガリーのブダペスト・・・。ドナウ川の川くだりも体験。ユーゴのベオグラードではチトー記念館に。日本の天皇陛下からの贈り物が飾られていたかなぁ。
そして、ルーマニアのブカレスト・・・。ちょうどチャウチェスク全盛の時。街中にチャウチェスクの肖像画が飾られていて・・・。当時は社会主義の末期。どうしようもないほど、国自身が貧しい時でしたね。
ブカレストの街はほこりだらけ、かつ犬は食料もないのか可哀想なくらいやせ細って・・・。
ブルガリアのソフィア。ここで覚えているのは・・・ここはソビエトと文化的にも関係が深いのか街中がキリル文字。ここで変な日本人のお坊さんに出会ったかなぁ。
その後、ギリシア、エルサレム、テルアビブ、エジプトへ。
2年目の冬休みは南米をぐるーっと20日くらいかな?この時は日本人の留学生と二人で。ペルーのリマ、クスコ、マチュピチュへ。そしてチりのサンチャゴ・・・。アルゼンチンのブエノスアイレス、ブラジルはリオデジャネイロ、サンパウロ、サントスへ。国境のイグアスの滝にも。最後にエクアドルのキトーへも。昭和天皇が亡くなったのはサンチャゴからブエノスアイレスへ向う飛行機の中。隣の人が読んでいる新聞で知りました。
などなど。普段できるだけ、自炊をして生活費を抑えたので、なんか会社のお金で旅行もさせてもらったような・・・
そして、卒業。あのガウンをまとっての卒業式・・・。マンハッタンのワシントン・スクエアでの卒業式は・・・懐かしいですね。
卒業後も1ヶ月くらいはNYにいたかな。そして日本に3ヶ月だけ帰国し、次の勤務地であるロサンジェルスへ。と、まさに海外に行きたい、海外で仕事をしたいと思っていたら、まさにその通りに・・・。
これって思いが強かったから実現したのか、それを目的に生まれる前に決めてきたのか・・・。
さて、それでは今の思いは何なんだろう?
思いを実現するためには、何かを思わないと・・・駄目ですね。