今日は6月11日。ちょうど3ヶ月が過ぎた。
仙台には4月29日に行って、6月4日にも。街中は整然としていて、何も知らなければ、この近くであれだけの大震災があったなんて。
さっきPray for Japanのユーチューブの動画を見ていたら、なんか自然と涙がでてきた。これまで、特に学生の頃は、なんか日本って、すっごく閉鎖的な国で嫌な国だと思っていたけど、今回はホント見直した。日本人も捨てたものじゃないなって。それに世界中の人々のサポート。みんなが本当に日本のこと、日本人のことを心配してくれた。こんなに感動したことはこれまでにないことかも。
大震災の直後、最近Facebookで知った、昔の外国の友人から心配のメールが。なにか出来ること、して欲しいことがあったら教えてと。なんかジーンときたかなぁ。とにかく、これ以上被害が広がらないよう、ただPlease pray for Japan!と。
ボクはその時ちょうど丸の内のビルの15階。アメリカで1994年にLAの大地震を経験したときにも、家が倒れるのではと思ったが、今回はそれ以上の揺れを感じたかなぁ。外を見ると皇居の方に人だかりが、南の方を見るとお台場の方で黒い煙が。まさかビルが倒れることはないだろうけど、ほんとどうなるかと。その日は普段使っているJRは動かなかったが、夜10時、11時頃から地下鉄も順次動き始め、結局夜中の1時頃の丸の内線で帰ったかなぁ。家に帰れたからよかったけど、会社に朝までいた人たちも。
こういう時やっぱり、家族が心配に。電話をかけても通じず。数時間後にようやく嫁さんと繋がり、下の子は30分後には近くの学校から戻ってきたと。だが、上の子は高校の校外研修とかで成田の牧場に。どうもちょうどバスに乗って帰ろうとしたときに地震に遭遇したとのこと。
学校のホームページに現在学校に向かっているとの情報がでていたが、結局、道路は大渋滞。都内の学校についたのはなんと朝の3時過ぎだったとか。12時間以上もバスで。途中コンビニでトイレ休憩があったり食べ物を買ったりしたようだが・・・。結局、上の子は次の日の10時頃に帰ってきたかな。
と家族はとりあえず、無事だったが、仙台の実家にいる母親と連絡がつかず・・・。何度もなんどもTelをするが繋がらず。翌日の土曜日も。途中呼び出しはする時もあったが。もしかしたら避難所にいっているのかなぁと。80過ぎの高齢の母が一人で住んでいるので、ほんと不安だったかなぁ。次の日曜日もなんどtelしたことか。神様に無事を祈る。昨年父が亡くなり、母一人なので、心細いのではないかと心配に。それより怪我などしてなければいいのだが・・・と。
たまたまMixyで避難所の連絡先がホームページで掲載していると知り、ネットで調べて、避難所に当たる近くの学校にTEL。なんと電話が一発でつながる。どうやら13日(日)の午後から電気も繋がり、電話も繋がったようだ。そこで、避難所の名簿を調べてもらうが、名前はないとのこと。ただ、近くの被害の状況を聞いてみると、幸いなことに地盤の硬い所なので、そんなに被害は大きくないとのこと。
ただ、母は数年前にくも膜下出血で倒れたこともあり、不安に。夕方、もう一度、同じ学校に藁にもすがる思いでTEL。「東京からなんですけど、なんとか母と連絡を取る方法はありませんか?」親切にも、「住所を教えてください」と言われ、「近くの町内会の民生委員の人に聞いてみるので、30分後にまたTelしてください」とのこと。
無事を祈って30分後に再度TEL。「お母さん無事ですよ。お子さん東京と神戸にいるんですよね。」と間違いない、ここでようやく無事を確認でき、ホッと。FAXを送信してたら、夜無事を知らせる母からのTEL。二階の本棚が倒れたくらいで、大丈夫だと。ただ、ずーっと電気も水道もガスも止まっていたので、寒かったと。
それにしても今回15,000人の方が亡くなり、未だに8,000人が行方不明に。
人々の絆を知る上では、非常によかったが、あまりにも大きな犠牲が。一日も早く復旧、復興されるとともに、人々の心の傷が癒され、無事助かった人々に明るい未来が訪れることを願わずにはいられない。それと、日本のみならず、世界中からサポートしてくれた人々、自衛隊の人々、原発事故で体を張ってくれている人たち、ボランティアで頑張っている人たちに感謝、感謝。 日本頑張れ!!
仙台には4月29日に行って、6月4日にも。街中は整然としていて、何も知らなければ、この近くであれだけの大震災があったなんて。
さっきPray for Japanのユーチューブの動画を見ていたら、なんか自然と涙がでてきた。これまで、特に学生の頃は、なんか日本って、すっごく閉鎖的な国で嫌な国だと思っていたけど、今回はホント見直した。日本人も捨てたものじゃないなって。それに世界中の人々のサポート。みんなが本当に日本のこと、日本人のことを心配してくれた。こんなに感動したことはこれまでにないことかも。
大震災の直後、最近Facebookで知った、昔の外国の友人から心配のメールが。なにか出来ること、して欲しいことがあったら教えてと。なんかジーンときたかなぁ。とにかく、これ以上被害が広がらないよう、ただPlease pray for Japan!と。
ボクはその時ちょうど丸の内のビルの15階。アメリカで1994年にLAの大地震を経験したときにも、家が倒れるのではと思ったが、今回はそれ以上の揺れを感じたかなぁ。外を見ると皇居の方に人だかりが、南の方を見るとお台場の方で黒い煙が。まさかビルが倒れることはないだろうけど、ほんとどうなるかと。その日は普段使っているJRは動かなかったが、夜10時、11時頃から地下鉄も順次動き始め、結局夜中の1時頃の丸の内線で帰ったかなぁ。家に帰れたからよかったけど、会社に朝までいた人たちも。
こういう時やっぱり、家族が心配に。電話をかけても通じず。数時間後にようやく嫁さんと繋がり、下の子は30分後には近くの学校から戻ってきたと。だが、上の子は高校の校外研修とかで成田の牧場に。どうもちょうどバスに乗って帰ろうとしたときに地震に遭遇したとのこと。
学校のホームページに現在学校に向かっているとの情報がでていたが、結局、道路は大渋滞。都内の学校についたのはなんと朝の3時過ぎだったとか。12時間以上もバスで。途中コンビニでトイレ休憩があったり食べ物を買ったりしたようだが・・・。結局、上の子は次の日の10時頃に帰ってきたかな。
と家族はとりあえず、無事だったが、仙台の実家にいる母親と連絡がつかず・・・。何度もなんどもTelをするが繋がらず。翌日の土曜日も。途中呼び出しはする時もあったが。もしかしたら避難所にいっているのかなぁと。80過ぎの高齢の母が一人で住んでいるので、ほんと不安だったかなぁ。次の日曜日もなんどtelしたことか。神様に無事を祈る。昨年父が亡くなり、母一人なので、心細いのではないかと心配に。それより怪我などしてなければいいのだが・・・と。
たまたまMixyで避難所の連絡先がホームページで掲載していると知り、ネットで調べて、避難所に当たる近くの学校にTEL。なんと電話が一発でつながる。どうやら13日(日)の午後から電気も繋がり、電話も繋がったようだ。そこで、避難所の名簿を調べてもらうが、名前はないとのこと。ただ、近くの被害の状況を聞いてみると、幸いなことに地盤の硬い所なので、そんなに被害は大きくないとのこと。
ただ、母は数年前にくも膜下出血で倒れたこともあり、不安に。夕方、もう一度、同じ学校に藁にもすがる思いでTEL。「東京からなんですけど、なんとか母と連絡を取る方法はありませんか?」親切にも、「住所を教えてください」と言われ、「近くの町内会の民生委員の人に聞いてみるので、30分後にまたTelしてください」とのこと。
無事を祈って30分後に再度TEL。「お母さん無事ですよ。お子さん東京と神戸にいるんですよね。」と間違いない、ここでようやく無事を確認でき、ホッと。FAXを送信してたら、夜無事を知らせる母からのTEL。二階の本棚が倒れたくらいで、大丈夫だと。ただ、ずーっと電気も水道もガスも止まっていたので、寒かったと。
それにしても今回15,000人の方が亡くなり、未だに8,000人が行方不明に。
人々の絆を知る上では、非常によかったが、あまりにも大きな犠牲が。一日も早く復旧、復興されるとともに、人々の心の傷が癒され、無事助かった人々に明るい未来が訪れることを願わずにはいられない。それと、日本のみならず、世界中からサポートしてくれた人々、自衛隊の人々、原発事故で体を張ってくれている人たち、ボランティアで頑張っている人たちに感謝、感謝。 日本頑張れ!!