8月に着物でのお出かの際に、いわゆる着物警察に捕まりました

その日の着物は夏牛首、帯だけは夏帯ではありませんでした

集まった人達に、その帯の着姿を見せるためでもあり

帯を隠すために羽織を着て備えていたのに・・・・

 

羽織を脱いでいたところで着物警察に遭遇

トイレの洗面化粧台で、急に帯と着物を引っ張っられ

「この帯は夏用ではないでしょ!! あなたね 

全然分かってないわよね ~云々かんぬん〜 」と 

  

更に話が止まらなそうなので

洗っていた手を、幽霊の『うらめしヤ―』のポーズで

「あっ はァー そーですかー」と言いながらさっさと退散

 

過去の着物警察から職質の経験から

とにかく逃げねば―ッ と早々に退散しました

3回目くらいになると、我ながら逃げ足が速くなりましたよ

 

着物警察・婦警の方へ

一方的にルール・マナーや正論を振りかざして着衣に触れること自体

目的も手段も、マナーも間違っていると思うんですね

 

人にはそれぞれ事情があるわけで

何も知らずに、一方的に古い価値観・固定概念を押し付けたり強要しないで欲しい

 

これまで数回あった、着物婦警さんのとの経験から

『昔は~ 本来着物とは~ 今の人は~ 等』をコンコンと詰めてくるし

値踏みするような、マウントとる会話の理論構成や

当然のように着物や帯をベタベタ触り引っ張る行為、、、どうなのでしょうか 

 

せめてワンクッション、相手を思いやる言動なりクッション言葉でもあれば 

一転、✨素敵な着物マダム✨に見えてくるし

私も聞く耳や敬意を持って向き合うことができるんですよね

そうゆうマダムからは学ぶべきことが多いと思います

 

いつまでもその古い価値観、固定概念に固執・執着せずに

気候変動や多様性の時代における着物の方向性

そろそろ更新してもいいのでは???と、毒づいてみました

 

ただこうゆうことは、洋服ではなかなか経験できないことでもあります

また他人は自分の鏡ですから、、、人の振り見て我が振り直せです

あーはなりたくないは、自分にもあーいうところがあるから気づこうね

のきっかけでもありますからね

 

着物って修行の一種です という話