こんばんわ。
今日のテーマは言葉選び、そして、言葉の前提
コミュニケーションって難しいですね。
自分の中には前提があり、それは言わないと相手にはやっぱりわからないし、
そして、相手の受け入れ方で意味が変わってしまう。
わかっていても、普段のコミュニケーションでは気づけなかったりするのかもしれません。
アパレルで働いていた頃、高級感を意識する店で、整理整頓を大事にしていました。
大量の入荷商品を倉庫に戻すのにいつも夜の締めの時間がおしてしまい、
スタッフ達は商品の陳列を最小限にしていたのですが、
それに私は納得いっていなかったのです。私は、「高級感」を基盤にかかげていたルールを
そして、ゲストに見やすい環境づくりを提供したいという会社の思いに尊敬を示し、
自分のできる限りのことをしたかった。
そして、「きれいにしようよ」と伝えましたこともあります、
でも、その時のリーダーはだいたいでいいから!と、聞く耳持たずで、
結局一スタッフとしての私ができることをするまででした。
そこでは、私の意見はあまり通らない環境だったのです。
それはなぜかと、今振り返ると自分が発言したその言葉の思いや前提を話さなかったからではないのだろうか。
「朝一に来られるゲストはきれいな状態で商品が見れないのでは、私達の目指している高級感にはたどり着けないし、こんなに高価のものが雑に置かれているようでは、この商品の価値やデザイナーに対する敬意がない」➭だから、「きれいにしようよ」
と言うべきだったのです。
コミュニケーションとは、わからない人にはわかるように伝えることなんです。
わかってもらえないコミュニケーションには自分の伝え方に問題があるのかもしれない。
そして、それが家庭でも発生してしまっていたのです。
私は一年前の交通事故の後遺症として、変形性頸椎症があります。
2週間に1回病院で朝から晩まで治療をしています。
そして、一行に治らず、痛み止めで生活するしかない所まできています。
それに対して、私は何も文句はありません。
今ある自分の状況を受け止めて生活していくしかありません。
その症状は2時間までしか立つことができません。
ただ、この言葉にも、「では、2時間は立てれるのよね?」という相手の受け止め方がある、
実際のところは、2時間で最大の痛みに達する為、その過程で既に痛みを感じながら立つことになるうえ、2時間立った後には、その残りの一日はろくにちゃんと過ごすこともできないのです。
そこまで言うべきだったのかもしれません。
そして、もう一つ、「あなたはやりたいことしかしたくない」と言われました。
確かに、私は今やりたいことしかやってません。
なぜかというと、今自分にできることをやるという選択肢しかないのだからです。
自分のこの体の状態で、今自分にできることを自分のやりたいことにつなげていくしかないのです。
この怪我してからの治療は、鬱になってもおかしくないぐらい、
そんなに安易に乗り越えられるものではありません。
それを最初から見ていた家族でさえも、伝えたことしか伝わらない。という恐ろしさを
私はついに気づくことができました。
よりよいコミュニケーションをするには、いかに自分の伝え方が大事なのか。
結局、自分を大事にするのも、痛めつけるのも自分次第。
結局、自分が成長することで、自分の人生はかわってゆくのです。
I live my life!