私の次女は去年19歳で学生結婚ウインク

ここ アメリカでは 学生結婚は珍しくないOK

しかも 次女は 頭が良くて 中学2年生を飛び級したので17歳で大学に入ったウインク

 

若いとか 学生だから と私は反対しませんでした。

自分で 決めて生きていける年齢でしょう

 

学費? トップの成績でありがたく 学費免除

もちろん 生活費は自分で バイトしながら 全て 管理していましたよ

親が反対する理由はないでしょうおから

 

もちろん 相手に選んだ 男性は これまた おっとりとした 優しい男性で 文句なしパチパチ

 

丁度 結婚式の準備でウエディングドレスを選びに アメリカに私が来ていた時に 相手のご両親に会った

一緒に 食事行こう照れ

と 言ってくれたのは 婿のお母さん ジャネットだった心臓

 

彼女は よく喋るわはは

聞いている私たちが 息つくヒマないくらい お喋りわははわはは

そして 明るいたいよう。

よく笑う笑

と言うのは 初めて会う前から 電話でよく会話していたからわかるナイスグッド

 

初めて会った日

2016年2月だった冬雪

 

その日 彼女は 初対面なのに 沈んでいたショボーン

 

あれ??

 

毎年 彼女が受けている マンモ(乳がん早期発見の検診)

の検査結果に 影がある と言われたそうだショボーン

 

かなり 不安そうだった

 

私の娘の婿は 彼女にとって4人の子供の一番上の子

 

その2日後 詳しい検査結果が伝えられた

 

乳がん ステージ4ガーン

 

はぁ?

毎年 受けてたじゃんあせるあせる

 

私と同じ年

47歳

 

ドクターも毎年マンモ受けていてステージ4は 変だ ということで さらに検査

 

数日後 最悪の報告が

 

脊髄の癌ガーンガーンガーンガーンガーン

 

真っ青になった

脊髄って 全身に 神経の枝を出している中心部分ちゃうか?

そこが 元だった。

そこから 胸の方に転移してマンモで発見ショボーン

 

彼女も泣いて過ごしていたそうだ涙

 

結婚式は4月結婚。

 

2ヶ月後の結婚式には 絶対 出席するわ腕。

 

と 前向きなジャネットおねがい

 

即座に 放射線治療が始まって 髪の毛もあっという間になくなった

 

辛い 放射線治療にも耐えて 4月の結婚式には元気でカリフォルニアに来てくれたたいよう。

 

その結婚式 披露宴の後は ユタ州で2度めの披露宴

 

その時も 元気で 

もう〜カツラかぶってると かゆくてたまらないのよ〜

と カツラを動かしては 頭をカイカイしてた お茶目な 彼女

 

放射線治療のおかげで ガンも小さくなり 手術して摘出

それが 去年の夏頑張る

 

丁度 また 私とダーリンは ユタ州にいたので ちょっとだけ 会いに行った

 

術後でちょっと 元気ないようにも 思えたけど 一旦話し出すと よく話すジャネットに戻っていた

 

奇跡が起きて ガンが無くなりますように。。

何度 そっと心の中で 思ったか。。

 

そして 去年の冬も私とダーリンはユタ州にいたので ジャネットと会おうよ

と 連絡し合っていた

 

そして 約束の日 私とダーリンが待っていると ジャネットと彼女の旦那ではなく 現れたのは 結婚した私の次女と娘婿

 

どうやら ジャネットは 気分が 悪く 来れないとショボーン

 

そっか〜

 

じゃ 今度の機会にね

 

どうやら かなり 体調悪くて ERに1日3回も行ったそうだ

実家に帰っていても 娘婿も 私の娘もジャネットは 部屋から 出てこないから ほとんど会ってない との事ショボーン

 

ちょっと その状況に 不安がよぎった*mf*

 

1週間後 肝臓に転移見つかった

 

去年の暮れ 緊急入院

 

私たちに出来ることは 祈るだけ

 

痛みがありませんように

 

入院するまで かなりの痛みに苦しんだようで。。

 

1月3日 ジャネットの誕生日クラッカー

朝一番に FBで お誕生日のお祝いの言葉を書いた

入院してる云々は全く触れず

多分 家族しか知らないことだろうから

 

その夜11時過ぎ 娘から 電話が入ったsei

 

ジャネットは 逝ってしまいましたショボーンえーん

あっという間でした

私も あまりのショックで泣き崩れてしまいましたあせるあせる

 

あんなに 毎年マンモ受けていた彼女が?

私は 受けてない

あんなに 明るく 初めての人にでも 気軽に話しかけ 親しみやすい彼女おねがい

そして 素敵なお母さん

私なんか離婚してしまったし

子供に辛い思いさせたし

母親失格の私が生きてる

私が先に逝くべきなのに

 

将来の私たちの孫は 美女と美男子ばっかりよキラキラ

と 話したばかりだっったのに

 

人の命って儚い

ガンと分かってから10ヶ月

 

今でも 豪快に笑う彼女が時々思い出される

母の日を前に 彼女を思う今日この頃です

 

これは 最後に一緒に撮った写真

 

 ガンなんて。。

私もガンの家系。。いつかは 我が身

立派なお母さんだったからこそ、本当に素晴らしい子供たち そして彼女を支えてくれる素晴らしい旦那様がいる。その彼女の息子とうちの次女が夫婦になれて 私は感謝している。

ガンの治療薬が早く開発されればいいのな

彼女は ガンに負けたんではない。と娘婿は言う。

立派に 最後まで 諦めず 戦ったんだ と。

肉体的には、負けて逝ってしまったけど、本当の彼女は負けなかった。と

ピンクリボンピンクリボンピンクリボンピンクリボンピンクリボンピンクリボンピンクリボンピンクリボンピンクリボンピンクリボンピンクリボン