成長は是か否か その7 | 半径6,378.1kmの日常

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前回、現在の資本主義システムにおいては、地球環境の不可逆的な破壊は不可避であり、その未来を回避するためには脱成長コミュニズムしかないという主張への疑問点を提示しました。

その第一が、資本主義というシステムの中で気候変動を抑制することは本当に不可能なのか、という論点でした。

斉藤幸平さんの主張は絶対的デカップリング=経済成長と環境負荷の増加の関係を完全に断ち切ることは今後も技術的に不可能との前提に立っています。確かに2024年の現在において、絶対的デカップリングを可能とする技術革新は実用化されていません。しかし、それだから今後も絶対的デカップリングを可能にする技術革新がなされないと言えるでしょうか。

二酸化炭素を回収・貯留するCCS/CCUSは技術的にはもはや成熟しており、問題は費用対効果と言われています。

化石燃料に依存しない水素生成やアンモニア生成も技術的には確立しています。再生エネルギーの普及に加えて、発電の分野では核融合発電も視野に入ってきました。こうした技術が今後実用化するためには、費用対効果の改善が必要なのは明らかです。資本主義というシステムは技術革新に経済的なメリットを提供し、そのモチベーションによって技術革新を促進させるという機能がビルトインされていると考えます。技術革新による経済的なインセンティブが個人に十分に行き渡らないコミュニズムというシステムとどちらが技術革新を促進させるかは戦後の韓国と北朝鮮の技術革新のスピードの例を見るまでもなく、すでに証明済ではないでしょうか。

問題なのは資本主義というシステムにおいて環境負荷が外部コストになりやすいということです。そのため、環境負荷低減という効果が過小評価され、費用対効果が正しく認識されないのです。つまり、環境負荷を正しく費用認識させ、それを低減する技術に正しいインセンティブを与えれば、絶対的デカップリングを可能にする技術革新は加速され、可能になるのではないでしょうか。

つまり、外部不経済による市場の失敗を政策的なインセンティブにより是正するという、資本主義経済においてすでに前例のある対応が可能ではないか、環境負荷を費用認識するための制度設計は現在の民主的な政治体制における政策的な対応で実現可能ではないかと考えます。この点は議論を深める必要があるかもしれません。