「……去年のことです。わたしたちは、最後の連絡船でサロニアに来ました。そのとき、既にこの国はおかしくなっていました。毎日のように人々が城に連行され、あの図書館広場で処刑されていきました……」
メグが口を押さえて俯いた。
「親を亡くして孤児になった子供たちを見ていた兄が怒ったのです。『ここの王は人道に外れている。一矢報いてやらないと気がすまない』と……小さな旅芸人の一座でしかない私たちにできることと言えば、お芝居と歌だけです。そこで、王政を批判する劇を制作することに……といっても、内容が内容だから大っぴらには出来ません。そこで、宿泊していた宿の地下室を借りることにしました。観客も、宿の人と近所の方たちだけで……」
兵士たちがなだれ込むように入ってきたのは劇が終わった直後だった。有無を言わさずその場にいた者は全員引っ立てられる。このときユイの脳裏に、劇が始まる直前「持病の発作を起こした」と言って苦しげな顔で席を立った老人の姿が思い浮かんだ。まさか、あの人が密告した?この考えはすぐに確信に変わった。
「賞金をくれると言ったじゃないか!くそ、騙したんだな!」
牢に入れられてすぐ、隣の房からしわがれた怒鳴り声が聞こえてきたからだ。そして、直後聞こえてきた「ぐえ」という呻き声を最後に、それきり物音はしなくなった。何が起こったかはなんとなく想像がついたが、考えたくもなかった。自分たちも同じ目に遭わされるのだという恐怖感ばかりが勝っていた。腰縄を打たれて外に連れ出されるトレーズたちを見たとき、それは頂点に達した。
(死にたくない……ああああっ!)
声にならない長い絶叫のあと、ユイの意識は途切れた。
「……気がついたときには、東の塔の部屋に寝かされていました。あとで聞いたことなのですが、使用人の方がわたしをかくまってくれたんだそうです。上のほうには、房で自害したとの報告を入れたと……といっても、当時は記憶がなかったので何のことかわかりませんでしたが……そしてそのまま、侍女としてここで働くようになりました」
「いつ、思い出した?」
「三月ほど前のことです。塔の中を歩いている赤と青の二人組を見た瞬間、全部思い出しました。兄たちを連れ出したのはあいつらだった……そして多分、処刑したのも……」
ユイはここまで言って顔を覆った。メグが辛そうに頭を振る。
「……記憶は取り戻しましたが、わたしは表面上は何もないように振る舞い、侍女のヒルデを演じ続けました。無謀だと分かっていたけど、なんとかして仇を討ちたくて。ケガで寝込んでいる兵士たちの話相手を務めて、さり気なく情報を手に入れたりしました」
「じゃあ、兵士長に関してはどうなんだ?おれは、あなたが兵士長を利用するために近づいたとは思えない」
ユウは書庫でのカトルとユイの会話を思い出しながら訊いた。
「そうですね、そう思われても仕方ないですね……カトルさまは、記憶のないわたしによくして下さって。いつの間にかあの方に、恩義以上のものを感じていたのです。そしてそれは、記憶を取り戻した後も消えることはなかった。むしろ、日ごとに強まっていきました。だから、求婚されたときは本当に嬉しかった。でもそれ以前に、これでいいのだろうかという罪悪感のほうが強かった。わたしはずるい女だわ……」
「……好きなら、それでいいじゃないですか」
メグが口を開いた。
「兵士長さんがあなたを必要としているように、あなたも兵士長さんを必要としているんでしょう?」
ユイはうなずいた。
「……これからカトルさまに全てを打ち明けます。もし婚約を破棄するとおっしゃったら、それに従うまでです」
「――どうなるのかしら、あのふたり」
ユイが出て行ったあと、メグは呟いた。
「さあ、そればかりはどうにかできるものでもないからな。でも、兵士長はそんなに心の狭い人間じゃないと思う。おれは兵士長を信じるよ」
ユウの言葉に、メグは少し安心したかのような笑みを浮かべた。
「じゃあ、わたしもそうする」
「しかし……わけわからねえな。過去とか記憶とか気にする暇があったら、これからのことを考えりゃいいのに……」
食後のお茶をすすりながらジョーが言った。
「そういう問題じゃないの。例え悪意がなくても、結果的に相手を騙していたんじゃないかと思ってしまうのよ」
「それは単に取り繕おうとしてるだけだ。騙してんのは自分の気持ちじゃないのか」
ジョーはそう言いながらも、自分もまた同じではないかと思っていた。少し前までは自分の出自を知りたいと思っていたくせに、いざサロニードから真実を聞かされると、拒絶して逃げたのだから。
「ジョーには、一生わからないことよ」
メグはと言えば、騙しているのは自分のほうかもしれない、と考えていた。それと同時に、記憶を取り戻すことへの恐怖感がまた湧いてきていた。
「おい、ふたりのことでおまえたちが言い合ってどうするんだ、たいがいにしておけよ」
ユウは口では注意しながらも、心中では自分の正体に不安を抱いていた。自分は人でも獣でもない存在だという。それが何なのかはっきりしたとき、果たして本当の自分を受け入れることができるのだろうか、と。