ユウはネプト竜の像の目に紅い珠をしっかりと填め込んだ。すると、紅い珠と右目の青い珠とがまるで共鳴するかのように同時に輝きだす。
 先のテレポが成功したらしく、気がついたときにはネプト竜の像の前に立っていたのだ。ただ何故か自分と像の周りには青い霧がたちこめ、ジョーとメグの姿はどこにも見当たらなかった。ユウには、これが夢なのか現実なのか区別がつかなかった。と、
 ――ありがとう、光の戦士よ――
 ユウの頭の中に澄んだ声が響きだした。初めて聞く声だが、なぜかネプト竜の声だとすぐに理解することが出来た。
 ――私は、魔物と化した大ネズミに自分の心である左目を奪われて以来、暴竜と化していたのだ。そなたたちがいなければ、私は暴走したまま、人間を傷つけ続けていただろう――
 竜が右目の青い珠を輝かせると水の塊がゆっくり現れ、ユウの前で止まった。そっとつかんでみると、水は牙の形になって手に収まる。牙は透き通った水色の石で作られ、表面には小さな桃色の宝石が埋め込まれていた。



 ――これは、水の精霊ウンディーネが司る水の牙。そなたたちの行く手を遮るものを打ち砕いてくれよう。さあ、行くがいい。光の戦士にクリスタルの加護があらんことを――
 その言葉の余韻が消えると青い霧も消えた。まわりからは何の気配も感じなくなり、本当の静寂が神殿を支配した。再びユウの意識は遠のいていった。

次にユウが目を覚ましたときはベッドの上にいた。すぐには状況が飲み込めずボーッとしていたが、
「やっと起きたか、三日も眠っていたんだぞ。まあ、オレも今朝起きたばかりだけどな」
 ジョーの声で我に返り起き上がる。彼はベッドの上であぐらをかいて干し魚をかじっていた。
「ここは?」
「アジトの宿だよ。おれたちでここまで運んでやったんだ、少しは感謝しろよ」
 今度は長椅子に座っているデッシュが答えた。バイキングの長老が海が急に静かになったのに気づき、デッシュとバイキングたちが神殿に行ったところ、ネプト竜の像の前で倒れている三人を見つけたということだった。
「竜の目はどうなってた?」
「紅い石と青い石が入ってたぞ。ああそうだ、お前が持ってた牙みたいな奴な、その袋に入れておいたから」
 ユウが革袋の中を探ってみると、竜から受け取った水の牙が輝いていた。やはりあれは現実にあったことなのだ。
「お前がそいつをもらっているのを見て、近づこうとしても金縛りにあったみたいに動けなかったし声も出せなかった。どうなってるんだ、と思ったときに目が覚めたんだよ。メグも同じ光景を見たらしいぜ」
ちょうどそのとき、ポットと三つのカップがのったお盆を持ったメグが入ってきた。
「あ、目が覚めたの?もうひとつカップがいるわね」
お盆をテーブルに置いて引き返そうとするメグを、ユウが止めた。
「いや、おれはいいから、気を使うな」
「じゃ、わたしがいらないから。これね、キンモクセイのお茶なんですって」
 メグは手際よくお茶を入れると、ユウ、ジョー、デッシュに配った。ユウにはやや苦手な香りだったが、それを表情に出すことはなくお茶を啜った。
「……そういえば、あの竜と何の話をしていたんだ?オレらには聞こえなかったんだ」
「ああ、それは……」
 ユウは竜の言葉をジョーたちに聞かせた。
「ふーん。左目の珠が竜の心だったのか。あのじいさんも話してたな、『神殿には力と精神が眠っている』って。あれはそういう意味だったのか」
「わたしはあのネズミが魔物になった理由が気になるわ。やっぱり闇の力の影響で?」
 メグが言うと、デッシュが訊ねてきた。
「そういやメグちゃん。そのネズミ野郎は、なんで竜の心を奪ったんだ?」
「え……確か、わたしたちを誘き寄せるために、誰かの命令で奪ったって言ってたわ。……そうだったよね?」
 メグが確認するように顔を向けてきたので、ユウとジョーは同時にうなずいてみせた。
「もしかしたら、その命令をだしたヤツがあのネズミを利用するために特別な力を与えたのかもしれないぜ。たとえば『強くしてやるから光の戦士を殺ってこい』とかな」
「命令したのは闇の力を呼び寄せようとしているヤツに間違いないだろうな。ジョーが訊いたときのあの反応……あれは肯定してるのと一緒だ。それに、そんなふざけた真似が出来るヤツなんてほかにいないだろうよ」
「だとすると……そのネズミも闇の力の被害者なのかもしれないわね……」
 メグが沈んだ表情で言うと、ジョーが顔をしかめて舌打ちした。
「敵は敵でしかないのに、本当お人好しだな、お前は!そう決まったわけでもないだろうに……」
 ユウはメグの言葉を聞いて、死霊と戦い、その過去を見たときのことを思い出していた。彼らは黄泉の世界から無理やり連れ戻された闇の犠牲者たちだった。だが……。
「……それでも、倒すしかない。ヤツらはれっきとした敵なんだからな」
 勝手な言い草かもしれないが、ユウは敵を倒すことこそが供養だと思っている。自分たちが倒さなければ、少しでもためらってしまえば、身も心も魔物と化してしまった彼らは次々と罪を重ねていき、傷つく者、斃れる者は増える一方だろう。だから、倒すのだ。
 きっぱりと言い切ったユウの目が一瞬、恐ろしく冷酷なものになっていた。

 大広間は先日とは打って変わった雰囲気になっていた。ユウたちが入るとあちこちから聞こえていた賑やかな声がピタリとやんだが、すぐに歓声と口笛が巻き起こる。
「おっ、勇者たちのお出ましだ!」
 ビッケが進み出て、ユウの手をがっしりとつかんだ。
「いっ……!」
「おっと、悪りい悪りい。おまえらには感謝してもしきれないくらいだぜ。礼の品を用意しておいたからついてきな」
 ビッケの案内でアジトのドックに向かうと、奥に一隻の白い船がつながれていた。船首には竜の飾りがついている。少し古そうだが、手入れが行き届いていて動かすのに支障はなさそうだ。と、船の前に立っていた老人がユウたちに気づき、手を振ってみせた。
「じいさん、エンタープライズの調子はどうだい?」
「異常なしじゃ。調整も終わったし、水と食料も十分に積んである。今すぐに出すこともできるぞ」
「エンタープライズ?この船のことですか?」
 メグが聞くと、老人は笑った。
「その通りじゃよ、お嬢ちゃん。このエンタープライズは、今から二十年ほど前にわしの友人である船大工が造ったんじゃ。他の船はすべて海竜に壊されちまったが、これだけは使わず残しておいたんじゃ」
「この船が礼だ、お前らの好きなように使ってくれ!」
「えっ、いいんですか?こんな立派な船を……それに、ここの船がなくなっちゃうんじゃ……」
 ビッケはメグの肩をぽんと叩き、
「細かいことは気にするな!船なんてまた作ればいいことなんだからな!バイキングはみみっちい真似は嫌いなんだよ!遠慮なんていらねえからとっておけ!」
「そうじゃ。船はこんなところで埃を被らせているより、海に出すのが一番なんじゃよ。こいつが大いに活躍するほうが、あいつも喜ぶじゃろう」
「ありがとう。大事に使うよ」
 ユウはふたりに礼を言うとエンタープライズに乗り込んだ。バイキングたちに手伝ってもらい、出港の準備を始める。
 ドックから港に移動すると、風を受けて船がゆっくりと動き出す。この日は気持ちいいくらい晴れあがっていた。
ユウたちは甲板に立ち、見送りに来たバイキングたちにずっと手を振り続けていた。
「ありがとうございましたー!」
「頑張れよー!」

「大事に使うんじゃぞー!」
老人は水平線の向こうに消えてゆく船に叫んでいた。ほんの一瞬だが、ユウたちと並んで船に乗る友人の姿が見えたような気がした。友人は船を完成させた直後に病死していたのだが、そっとつぶやいた。
「おまえも……船とともに生きているんじゃな……」

「カナーンに寄らなくていいの?」
 メグがデッシュに聞いたのは、食堂を兼ねた船室で地図を広げていたときだった。
「ああ。今会ったら別れるのが辛くなるからな。それに……今はその時期じゃないと思う。で、これからどうするんだ?このままアーガスに行くのか?」
 ユウは首を振り、地図の一点を指した。地図上の海には現在位置がわかるように船の形の駒が置かれている。ユウが指したところと駒の距離はさほど離れてはいない。
「いや、まずトックルの村に寄ろうと思う。ここからすぐみたいだしな」
「そうか。じゃ決まりだな」
 言葉少なに言ってデッシュは立ち上がった……が、突然呻いて頭を押さえると、崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。
「おい、大丈夫か!?」
 隣席のジョーが支えようとしたがデッシュは手を突き出して制した。額には汗が浮かんでいる。
「心配するな。今一瞬、グルガンの谷という言葉が浮かんだんだ」
「グルガンの谷……?」
 メグは考え込むように顔を伏せた。
「メグ、どうした?」
「ううん……何か、どこかで聞いたことあるような気がして……」
 ユウとメグのやりとりを気にする様子もなく、デッシュは再び立ち上がった。
「やっぱりお前たちについていって正解だったな、そのうち全部思い出せるような気がする。んじゃ、おれはちょっと一休みするわ。夕食になったら起こしてくれよ」
「……記憶が戻れば、本当に幸せになれるのかしら?」
 あくびをしながらデッシュが出ていったあと、メグが独り言のように言ったのがユウの印象に残った。