オランダ行きを決めた目的は
花以外にもう一つありました
23歳くらいだったか
その絵画を観た自分を確かめに行く🖼️
動けなくなるほどその絵画に惹かれたのは
どんな私だったのだろう
同じ場所に立って確かめたい
30年以上切望したことでした
とても長くかかりました
結婚、出産育児、退職
やっと長男を連れて
美術館に行けるようになった頃
あの不思議な体験を思い出し
想いが募るばかりでおりました
その後読んだ小林秀雄氏の
「ゴッホの手紙」
氏は上野の美術館で
ゴッホの画の前で愕然とし
しゃがみ込んでしまったと言います
こういう事ってあるんだと…
小林氏を一般人の域に引き摺り込むのは
申し訳ないことではありますが
この本の中で小林氏は
ゴッホの弟テオへ宛てた手紙を
"告白文学"として扱っています
ある画家は
あれほど絵を描くことが上手で
どうして文章を書くのがこんなにも下手かと思わせ、
ある画家は文章が上手いが巧過ぎてつまらない
ある画家は文は立派だが
その画業に拮抗できるようなものではない
ゴッホの言語的表現は全ての比類を絶する
そして
手紙が終わるところから絵が始まり、
絵の終わるところから手紙が始まる
実際に小林氏の
「ゴッホの手紙」を読まないと
ちょっと何いってるのか分からないんですけど
って事なのですけれど
まさに
氏の訳したゴッホの文章は
明瞭な自己分析をする哲学者のものの様で
その手紙を宛てた前後には
感情を画に起こす作業に移るということの
繰り返し
今の私は描いた人を知って想像したり
その人の内面と絵を照らし合わせることも
出来るようになっているはずで
随分と歳を重ねた自分を
あの時の私の隣りに立たせてみたい
タイムトリップ的な楽しみもあったりで
私が訪れた時にはなかった新館
黒川紀章氏のデザインなんだそうです
自然光が差し込んむアトリウムは
解放的でモダン
この新館についても語るべきは沢山なのですが
割愛♡
予約なしでは入れないほど人気です
以前の少し薄暗く、
人もまばらな中で観たイメージと違って
少し戸惑いました
日本語の音声ガイドを借りて
エスカレーターを上がり
一つ目の部屋の前で
足が止まる
目を潤ませ深呼吸する怪しい日本人は
心を込めて
一歩を出しました
そして入ってしまえば
広がるゴッホの世界に心は落ち着き
所々、日本でよくやる
"ガイドツアーに潜り込む"という
技なども使いながら
自画像から始まる絵画を進んで行きます
ゴッホの弟テオに宛てた手紙の一文も
壁に出たり消えたり
私が目的とする絵画は
「花咲くアーモンドの木の枝」
という絵で
好きなわりにいつも
「アーモンドの花咲く木の枝」
だと思っちゃうんですけどね。笑
以前訪れた時は
数ある絵画のほんの途中の壁に
存在感なく飾られていました
存在感はあったのかもしれませんが
私にはわかりませんでした
それが今や
ゴッホ美術館の大トリを務めていることを
オランダ行きを決めて初めて知りました
あの時の私の乗務は
所属グループ外の
欠員要員としてのフライトで
滞在先は
特にそのグループの方と約束もせず
一人ふらっと訪れた美術館でした
狂気の画家
くらいの知識しかなく
時間潰しの感覚
音声ガイドを聞く事もなく
「狂気」に納得しながら進み
渡り廊下のような場所に現れたあの絵
(場所はうろ覚えです)
展示の終わりが近づくにつれ
その絵の気配を感じては後戻りする…
落ち着きのない日本人
30年(と少し)経ち
記憶していたよりトーンは落ち着いて見えて
あの時感じた澄んだ明るさはなく
けれど希望を孕む優しさは
やっぱりあって
その後入れた少しの知識のせいか
美しいモチーフの中にも
もどかしさと焦燥感が滲み出てくるようでした
あの時感じたより
一回り小さく
枝はもっと伸びていたように思えました
Tシャツにデニム、
肩までの髪
無知を悪びれもせずに見つめる
あの時の若い私
ただただ
綺麗!と思ったんだろうか
同一人物が描いたのかと
人の二面性に混乱させられて
どちらが画家の本当の姿なんだろうと
疑問にも思ったのかもしれません
絵画の前に立っていた私は
今と思うことも見た目も違って
何も知らない
そんなあの日の後ろ姿が
可愛らしく幼くも見え
30年以上も経つのだなと
あっという間だったなと
戻ってこれて良かったねと
声をかけたい気持ちでした
いいなと思えるものを見つめたり
一緒に写真を撮ったり
絵画じゃなくても
その時その時好きなもので
小林氏の言葉
考えるとは、
物に対する単に知的な働きではなく、
物と親身に交わる事だ。
物を外から知るのではなく、
物を身に感じて生きる、
そういう経験をいう。
「考えるヒント」より
絵や音楽について沢山の知識を持ち、
様々な意見を吐ける人が、
必ずしも絵や音楽が解った人とは限りません。
その場にしゃがみ込んで了うほど
感動すればいいじゃないか。
頭で解るとか解らないとか
言うべき筋のものではありますまい。
先ず、何をおいても、
見ることです。
聴くことです。
「考えるヒント」
「美を求める心」より
また長くなってきたぞ
すみません
ミュージアムを閉館ギリギリに出ても
まだまだオランダに夜は来ず
少し近くを散策して
カフェでサンドイッチで夕食にし
ホテルに戻りました
粗食ではあるが…
めちゃくちゃ美味しく感じました
そうそう、
ゴッホに魅入られた中国人複製画家の
ドキュメンタリー映画
すごく良かったです
ゴッホに興味のある方でなくても
この人の生活や生き方、
抱える悲哀、
ゴッホにのめり込む様子、
この土地の文化が刺激的です
そして2026年❣️
上野の森美術館に
ゴッホの絵画がやってくるみたいですよ
クレラー・ミュラー美術館から
20年ぶりの来日
「夜のカフェテラス」
そして
2027年には70年ぶりのオランダの国宝
「アルルの跳ね橋」
これは国外に貸し出される事は極めて稀
アムステルダムから2時間の
クレラー・ミュラー美術館
アクセスを考えて今回行かなかった自分を
少し悔やみながら
楽しみにしようと思います
徳島の長男、
西に住まわれるブロ友さん、
関東に住んでいようとも…
心配でなりません
長男は非常食など揃え、
以前送った避難グッズセットも
持ち出しやすい所に置いたと
落ち着かないここ数日ですね
何事も起きませんように
どうか本当に