『まむしの末よ、誰が汝に、迫りくる神の御怒りをさくる道を示したるぞ』(マタイ三章)


感謝の詩篇(死海文書)

『……わたしは嘲りのうたとなる
悪しき者の目には。
掟なき者たちの唇の、罵りのうた。
かれらは嘲りに歯を噛みならす。
罪びとらの、わたしはうた。
悪しき者らの群れはわたしにむかって
大洋の嵐のようにたけりたつ
さかまく波は泥を汚物を投げる。

しかしあなたはわたしを
義のみいくさの旗とする。
深奥の秘儀を語る
智慧ある通訳としたもう。』


『ルカは叙述が歴史的、伝奇的で、マルコを使いながらも、異邦人には興味が薄い
エピソードを省略し、そのかわりに多量のイエスの教えを入れています
マタイは構成が劇的なのが特徴で、分量も四福音書のうち群をぬいて長い。
パリサイ人を猛烈に罵倒しているのもマタイですし、
旧約の預言者の言葉を一番よく引用するのもこの書です』


『新約聖書』に関しては、イエスがはじめに出会ったサタンは
「試みるもの」と記されていることから分かるように
むしろ神の使いに近い。しかし、同じ福音書でもあとのほうの
『われ天より閃く電光のごとく、サタンの落ちしを見たり』(ルカ十章)
でのサタンは、「試みるもの」ではありません。悪そのものなのです


ルカとヨハネとでは、イエスはサマリア人にも恵みをたれています。
ルカではイエスはエルサレムに行く途中だったために、エルサレムを敵視する
サマリア人に宿を断わられます。
しかしイエスは、腹を立てる弟子たちを制し、またサマリア人の親切さを
示す物語を、弟子達に聞かせています。
ヨハネではイエスの立場はさらにはっきりしています。
イエスはサマリアで布教し、驚いたサマリアの女に
『女よ、わがいうことを信ぜよ、この山にもエルサレムにもあらで、
汝ら父を拝する時来るなり』
ところがマタイ、マルコでは事情は異なります。
マルコにはサマリア人はでてきませんし、マタイでは、
イエスはサマリアへの布教を弟子たちに禁じているのです。
『異邦人の途にゆくな、またサマリア人の町にはいるな。
むしろイスラエルの失せたる羊に行け』(十章)