今でも鮮明に思い出すのは、
震える身体や、
額にじわりと滲み出る冷や汗。
怖かった。
ひとりで怖かった。
家族はいるのに、
友達もいるのに、
宇宙の中に取り残されたかのような
自分はだれとも繋がっていないという孤独感。
ドアが蹴られる音や、
ガラスが割れる音や、
罵声。
突然のその不穏な音に慣れるはずもなく。
身体に怖さが染みついてしまったようで、
未だに音には敏感だ。
昔、上司で書類や物をわざと横に、バン!
と置く人がいた。
自分がよく思われていたのは分かっていたし、
そんなことわざとするなんて、
ろくでもない。
そう思っていたが、
身体は素直に反応する。
身体が覚えている、
あの時感じた怖さを思い出させた。
脅しのように感じた。
十代のころ、
いきなり部屋のドアをバン!と開けられて、
(引き戸だったので音がすごい。笑)
睨まれて、
罵声を浴びせられる。
そんなことが日常茶飯事だった。
身体は四六時中、
カチコチに緊張していた。
憎々しげに睨まれて、
何を言われたのか覚えていないほど
つらい言葉たち。
「自分が悪いのだ」
「自分は在るがままで生きては駄目なんだ」
「自分が言うことは全て悪くとられてしまう」
強烈な自己否定の烙印を
心臓の奥に押される音や痛み。
今でも鮮明に覚えている。
急に胸が苦しくなる。
息ができなくなる。
だから、
その上司が自分の無価値観や罪悪感を思い知れ!
と言わんばかりに、
嫌味や皮肉なことを直接言ってきたり、
陰でコソコソ言われたり、
あからさまな態度を取ってくると、
胸の奥深くがズキズキと痛んだ。
四六時中考えてしまうほど、
苦しんだ。
今でも思い出すたびに腹が立つけれど、
目の前の現実は、
自分の意識が創り出してきたのだと思う。
すべてはきっと、
進化するために生かされているのだ、と
思うようになったのはいつからだろう。
不甲斐ない自分を恥ずかしく思ったり、
どうしようもない悲しみに溺れたり。
感情の波は、
ゆらゆらと一定ではないけれど。
無駄なことは一つも起こっていない。
その確信だけは、
揺るがなくなった。
時には、
そう思えないような出来事もあったけれど、
それすら必要だったのだと。
受け入れられるようになって来たように思う。
つらくて苦しくて
悔しくて悲しくて寂しくて、
そんなやりきれない想いたちも、
自分が生きている証で、
忘れられない過去や、記憶は、
その負を体験することで感じられる喜びを
教えてくれる。
ずっと重たい気持ちで生きてきた。
自分は許されないと思い込んできた。
同じくらい許せない相手もいて、
許しきれない感情が
今でも顔を出すときがある。
でも、それでもいいと最近思うようになった。
それでもいい。
たとえば
今他人にから見たら
不幸な事が起こっているように見えても、
実際そうであっても、
それでいい。
心の中が消えない過去で傷が痛み出しても
自分が無力で価値がないと思えても
嫌気がさしても
それでもいい。
どちらでもいいような気がしてきた。
だけど、
もうその事にだめ!と心すり減らすことなく、
心軽くなっていい。
そう思う。
家族じゃなくて、
他人でもなくて、
まず自分。
自分に愛をちゃんと注ぐ。
自分に愛情かけること。
慣れてないと意外とむずかしい、これ。
意識しないとすぐ忘れちゃう。
もう自分を怖がらせないよ。
思い出して怖くなっても否定しないよ。
青い空が憂鬱だったあの頃から比べたら、
私はあの時放った願いの中に生きてる。
大切な家族。笑顔。笑い声。
陽だまりの部屋。
豊かな緑。
心地よい風。
身体が休まるリビング。
他人の視線がこわくて
どこに行っても
カチコチに緊張していた、あの頃の自分。
極度の緊張からか、
他人の言葉が異国語のように
聞き取れなくなった一時期の苦悩。
誰にも言えず、
生きることが怖くてたまらなかった。
肩を落としている
あの頃の自分に、
「大丈夫、大丈夫」と語りかけて、
肩にそっと手を充ててあげる。
抱きしめてあげる。
そのままでいいよって。
身体の緊張を解いてあげる。
そんなイメージで
今日も最初で最後の今を生きる。
いずれは皆んな終わりを迎えるのだから、
あれこれ考えたって、
どうしようもない時もある。
今、安らげる場所、環境を、自分に。