自分の読書遍歴を簡単に振り返ってみようと思います。

 

小学校のころは「たまねぎ博士」、「ぼくときどきぶた」という絵本を読んだほかは、本はまったく読みませんでした。図入りの「太陽系のすべて」だとか古代文明の本は少しだけ読みました。小学校のころは漫画を読み、テレビゲームばかりしていました。漫画はこち亀をほぼ全巻読み、ドラえもん、クレヨンしんちゃん、燃えるお兄さん、ボクはしたたか君、ボンボン坂高校演劇部、新世紀エヴァンゲリオンなどを読みました。この中では特にこち亀とエヴァにのめりこんでいました。

 

ゲームはファイナル・ファンタジーが主でした。特に4と5はよくやりました。5に出てくるモンスターの絵を模写していました。それでノートの紙だけでFF5を再現できないものか考え、教室でできるロールプレイングゲームを作りました。それで休み時間などに友達とそのゲームで遊んでいました。

 

中学に入ると、ロックギターに出会いました。なのでまだ読書にはたどり着きません。そのころはまだ活字を読むということに慣れていなかったので、「ヤングギター」「バーン」といった雑誌を見ても、写真の部分だけを見ていました。

 

高校二年のときに、初めて小説というものを一冊読みました。ヘミングウェイの「老人と海」だったと思います。それから「人間失格」「斜陽」「伊豆の踊子」「三四郎」「金閣寺」などといった本を読みました。

 

一番最初に小説ってかっこいいと思ったのは、現代文の授業で安部公房の「赤い繭」という文章を読んだときでした。文学ってかっこいいんだなと思いました。それから安部公房に興味を持ち、まずその「赤い繭」の収録されている連作小説集「壁」を買って読みました。とても読みやすく、難しいと感じることもなく、ただただ驚きと興奮とともに、すいすいと読み終えることができました。小説っておもしろいんだと思いました。

 

続いて安部公房の「箱男」、「砂の女」、「人間そっくり」なども読みました。同じ時期に、埴谷雄高の「闇のなかの黒い馬」という小説も読みました。言葉の美しさ、言葉の深淵に酔っていました。

 

小説ではないのですが、高校二年のときに対人恐怖症、自己視線恐怖症という神経症(いわゆるノイローゼ)を発症したので、そのころに森田療法という神経症の精神療法の本を読みました。高校生のときは自分の神経症を治すことと大学受験の勉強との二本立てでした。なので森田療法の本を読んで勉強しながら、受験の勉強もしていました。

 

大学に無事入ってからは、まだ治っていなかった神経症の影響もあって、なかなか本は読めなかったです。思い出してみると、「高校生のための文章読本」という筑摩書房から出ているアンソロジーから、村上春樹、高橋源一郎、武満徹、埴谷雄高などの名前を知り、興味を持ったのでした。

 

大学は六年在籍して中退してしまいましたが、その六年間のあいだにはほとんど本は読まなかったように思います。いまふと思い出したのが、大学二年のころに、バートランド・ラッセル「ラッセル幸福論」を読み、衝撃を受けたことです。自分がどうすればいいのか、そこに書かれてあると思いました。関心を外に向ければいいのだ、自己没頭していてはいけないのだ、と思いました。

 

でも「ラッセル幸福論」の実践は、長くは続きませんでした。やはり自分を取り繕っているような不自然さを感じていたのです。現に関心が外に向かっていないのに、そこを無理やり外に向けようとすることは、自分には無理があると思いました。これはあとになって知ったのですが、おそらくですが、認知行動療法のやり方に近いのではないかと思います。つまり、自分の認知を理知的に変えていこうとする。ぼくとしては、森田療法のような、認知を理知的に変えていこうとするのではなく、「心の問題には手出し禁物」というふうに、ただ行動に焦点を当てるやりかたのほうがしっくりくるように思いました。

 

森田では「生の欲望」というものに焦点を当て、神経症の症状を生の欲望が実現されていないことによる欲求不満、葛藤の状態と見ていたと思います。つまり森田では、自己の生の欲望を自覚し、自分の欲望だとか向上心をどこまでも発揮するべく努力すれば、神経症の症状は気づけば気にならなくなるのだ、ということを言っています。森田について話し出すと長くなるので、ここではこれくらいにしておきます。

 

大学四年目ごろから、ぼくは精神病院に通院するのを自己判断で中断してしまいました。その後二年ほど、精神科に通うのを中断していました。その二年の間に病状が悪化したようです。あとから振り返って判断するに、その二年の間に神経症から統合失調症へと病気が進展してしまったようです。

 

とりあえず、長くなってしまったので、いったんここまでにしておきます。このあとデイケアに行きます。デイケアから帰ってきたらまた続きを書こうと思います。