数学の作図で使うためのコンパスを買った。100円ショップで買った。コンパスで円をかく、というのが中学生のとき以来だった。円を一つかくというのもなかなかよかったけど、円を二つ、三つかくというのはもっとおもしろかった。正三角形を作図した。なんかレッド・ツェッペリンのシンボルみたいだ。

 

 

 

 

ぼくが数学に関心を持っているのも、まったく理由のないことではないと思う。心がそういう方向へ動いたことにはそれなりの必然性があるのだと思う。

 

ゾシマ長老の法話から。

 

神は種子を他界より取ってこの地上に播き、己れの園を作り上げられたのである。こうして成長すべきものは成長し、成長したものは現に生活している。しかし、それは神秘なる他界との接触感のみによって生活しているのである。もし人間の内部にあるこの感情が衰えるか、それとも全然滅びるかしたならば、その人の内部に成長したものも死滅する。その時は人生に対して冷淡な心持になり、果ては人生を憎むようにさえなる。余はこのように考えている。(ドストエーフスキイ『カラマーゾフの兄弟』第二巻、岩波文庫、米川正夫訳、221ページ)

 

 

 

慈善家ミハイルの言葉。

 

現代の人はすべて箇々の分子に分れてしまって、誰も彼も自分の穴の中に隠れています。誰も彼もお互いに遠く隔てて、姿を隠しあっています。持ち物をかくしあっています。そして結局、自分で自分を他人から切りはなし、自分で自分から他人を切りはなすのが落ちです。(同、第二巻、188ページ)

 

 

 

他の力を借りずとも生きていけるというような「自力信仰」のような人のアドバイスに従ってみたことも今までに何度もあったけども、結局ぼくには上手くいかなかった。自力で生きていける、というのは結局事実に即していないことなのだから、齟齬が生じる。事実に反する考えなのだから。