昼は日清の冷凍のソーキそばを食べた、やはりおいしい。

 

今日の歩数は2200歩。疲れ切ってしまって、一時間くらい横になっていたけども、横になっていると更に動けなくなるように思ったので、起き上がって机に向かって数学の勉強をやった。80分ほど。横になっているよりも何かしていたほうが疲労感がまぎれるような気がしたんだけども、でもやはり動いていても疲労感は強い。

 

ここ数日の疲れなのか、散歩の疲れなのか、横になっていたことの疲れなのか、区別がつかない。とにかく疲れている。

 

数学は関数の章が終わり、図形の章に入った。

 

今日はだめな日かもしれない。ほぼ毎日だめな日だけども、今日もだめだ。その日その日に点数をつけて体調などを数値化、可視化するのがいいのかも。以前に訪問看護の人にそれを提案された。面倒になってしまって結局一週間くらいしか続かなかった。何をしているときに楽になるのか、何をしているときに疲れるのか、とかを見えるようにするのがいいのかも。

 

音楽を聴くのは、自分にとっていいことだと思う。これは間違いない。今日はずっとエリック・クラプトンの曲をプレイリストで聴いている。手元にあるエリック・クラプトンのギタースコアに収載されている曲を集めたプレイリスト。「レイラ」って本当にいい曲だと思った。

 

音楽を聴くのはじっとしていてもできるから、ハードルが低い。勉強となるとそれなりにエネルギーがいる。

 

将来ってもう来ているのだと思う。今のこの自分の生活が自分の人生そのものなのだと思う。昔から自分は現状を否定してここではないどこかを求める傾向があった。ボン・ジョヴィじゃないけども、It's my life なのだ。歌詞の内容は知らない。now or never ですよ。

 

あと最近気づいたこと。自分の考えはころころ変わる。一日ごとに変わるし、10分ごとに変わることも多い。何かを信じたいと思っているんだけども、信じる対象がころころ入れ替わる。ギターを続けようと思うこともあるし、ギターは自分を不幸にすると思うこともあるし、数学、哲学の本なんかも同様。こういうのって心理学的にはきっぱりと説明されていることだと思うけども、ちゃんと調べたことも読んだこともない。スプリッティングという言葉は聞いたことある。

 

対象を自分の中に保持することが難しい。今目の前に見えている世界が自分にとって唯一実在する世界だと思ってしまう。背景に隠れている世界を信じ続けることが難しい。視野に入るものしか見えない。こういった自分の特徴は、日常生活を不便なものにしている。対象恒常性という言葉を以前に知った。自分に対象恒常性がない、ということは確か。

 

直近に読んだ内容に左右されることも多い。影響を受けやすい上に記憶力がないので、一番最後に読んだ本の内容を自分でも実行する、ということが多い。ギターの本を読んだらギターがやりたい気がするし村上春樹の本を読んだら、外の世界だとか日常生活に目を向けようとなるし、木村敏の本を読むと自分はやはり病人だと思うし、鈴木大拙を読むと精神世界を追い求めたくなる。自分のそれぞれの感想が統合されていない。行き当たりばったりで動いているから、努力の継続ができていない。