間違った思想っていうのがあると思う。自分を不幸にするだけの思想というのが。そういう思想というか価値観に影響されないようにしたい。

 

ところで、本を積極的に読みたいと思った。やはり自分はよい本にたくさん出会えているので、それはとても幸運なことだし、自分の本選びの感覚を信頼していいのだと思う。そして自分に関心のあるのはやはり哲学、文学だと思う。

 

本から離れていると自分はだめになるんじゃないかと思う。実際にだめになると思う。ぼくは影響されやすいので、そのときどきに読んでいる本の種類、内容によって体調が大きく左右される。ぼくが好きな著者というのは、ぼくにとって指導者であり、理解者であり、同志であり、友人でもある。

 

ぼくは認知機能障害や思考障害、離人症の影響なのか、記憶を保ち、ホールドすることが難しい。一番最後に見たものの記憶しかない。五分前に見たもの、考えたもののことを忘れている。このブログに毎日記事を書き続けているのも、自分が読んだもの、見たもの、考えたことを忘れないように記録しておくためだ。読み直すことはほとんどないので、記録としてそんなに意味はないのかもしれない。

 

自分にとって幸せな時間はやはり本を読んでいる時間だと思う。もっと正確にいうと、言葉に出会う瞬間だと思う。言葉に出会うのは、本を開いている間に限らない。かといって本を開かずとも言葉に出会えるはずだという考えは極端だと思う。例えば毎日忙しく働いていたほうが、毎日本を読んでばかりの生活よりも、言葉とより多く出会えるのだ、という考え。このあたりは自分の中で決着はついていない。

 

というかぼくは本を読んでばかりの生活を送れた験しがない。休みの日も、一日本を読んでいたという経験は今までにほとんどなかった。基本的に無気力なので。

 

生の意義以上に生そのものを愛する、ということを思う。これは『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャが言ったことで、論理以前にまず愛するのだと、それでこそ初めて意義もわかるのだと。

 

明日は診察だ。結局何を話すのか、まだ決まっていない。デイケアをしばらく休むというのも一案だと思う。作業所に移ってデータ入力などをするのも悪くないと思う。