死の家の記録は134ページまで読んだ。第一巻の半分を超えた。

 

いまもそうなんだけど、ここ最近、頭痛と動悸と寒気が一体となった不快感が続いている。心拍がうるさいともいえるし、身体の中の音がうるさく聞こえるというか。手首とか足首とかの関節も痛いし、なんなんだろう。

 

自律神経の乱れが原因だとしたら、何かストレスがあるということだろうか。対応策としては、デイケアを減らしたり、それかしばらくデイケアを休むことくらいしか思い浮かばない。それか、デイケアについては現状維持で、頭痛や動悸などの症状が軽くなるのを待つか。毎日、ほぼ一日じゅうこの症状が続いている。

 

耳から世界が入ってくる感覚、世界がひりひりして痛い、世界がこちらの身体をちくちく刺してくるのが痛いという感覚もほぼずっと続いている。すぐに疲れてしまって、横になってしまう。横になると心拍などがさらにうるさく感じられ、余計に大変なことになる。目が回るときも多い。

 

今日の朝は賞味期限が今日までとなっている、焼うどんを作って食べた。昼はすた丼を作って食べるつもり。気分でいうとねぎとろ丼なんかを買って食べたいんだけども、でももう豚肉を買ってあるから、今日はすた丼。

 

死の家の記録はとてもいい。確かに、罪と罰とかカラマーゾフの兄弟の理解が深まる。ドストエフスキーは心理家でもあると思った。ぼくなんかがまだ名づけていない考え、気持ちの動きなどを言葉にして表してくれている。ドストエフスキーは心理家であり、神秘家、懐疑家、信仰家でもある。

 

アレイという青年の話は、読んでいてカラマーゾフの兄弟の中の若きゾシマの従僕アファナーシイとかアンフィーム師の話を思い出した。素朴で謙抑な信仰というのか。ドストエフスキーの魅力は、懐疑と神秘的な直覚と素朴な信仰とが対立しつつも一体となっているところだと思う。

 

罪と罰なんかでは、ラスコーリニコフが夢の中で幼いころに戻っていて、馬をみんなで打ち打擲していじめている男たちを見て、そばにいる父に「なぜあの人たちは、かわいそうな馬をあんなにいじめているの!」という場面がある。あれはラスコーリニコフの抑圧された良心だと思う。

 

相対主義というのか、量に対して量で比較して競争するという舞台からはぼくは降りている。他人との競争のこと。そもそも二十代から三十代の間を十年以上無為に過ごしてきたというブランクがあることから言っても、健常者の人たちと張り合うことはできない。十年のブランクを取り戻すために猛勉強しなければ、とも思わない。できないことというのはあるから、できないことはしない。

 

いろいろ迷いはあるけど、今はドストエフスキーと向き合いたい。何年も同じことを言っているけども。

 

それにしても寒いのが気になる。ぞわぞわする。