神谷美恵子『生きがいについて』から。

 

しかし生活のために働いていなければ人間としての値打がないということならば、世のなかには、ほかにも同列のひとがたくさんいるはずであるが、彼らはみな価値がないことになるのであろうか。

こういうものの考えかたの根底には、人間の価値は経済力によってきまる、という価値判断がある。病気のため、その他の事情のため、働くことができなくなったひとは、自分も今まで無意識のうちに採用していたかも知れない上のような価値基準に対して再検討と変革を加えなくては、劣等感を克服することはできないであろう。

 

 

こうした世間の性急で皮相な価値判断を完全にそのままうけ入れるならば、こういうひとたちはまったく立つ瀬がなくなるわけである。たとえ表面ではあたりさわりなくやっていても、心のなかでしゃんと顔をあげて生きるためには、何か自分なりの新しい価値体系をつくり出す必要にせまられる。

そこで彼らは、それまでそこで埋没して生きて来た社会や集団との間に距離をおき、そこで行われている価値基準をあらためて検討してみることになる。すると、多くの場合、それはずいぶんいいかげんなものだったことを発見するであろう。習俗によってきめられている価値基準にせよ、ある集団の有力者たちの意見によって左右されている価値基準にせよ、単に大ぜいのひとがうけ入れているから、ということだけで正しいとされていることが多いのではないであろうか。同じ事柄でも、時代がちがったり集団がちがったりすれば、もうちがった基準で判断されているではないか。

 

 

ぼくは忘れっぽいから、こういう本の内容もすぐに忘れてしまう。忘れっぽさを補うために、こういうふうにして抜き書きノートを作ったんだけども。でもノートは便利だな。