ぼくが考える統合失調症ということと、一般に医学で言われている統合失調症ということとはいくらか、あるいはかなり隔たりがあるのかもしれない。病識を持つことが難しいとされている病気なので、患者であるぼくが自己観察をしたところで、客観的な観察など不可能だ。それなのに、ぼくは自分の自己観察が客観的なものだと思いこんでいた時期が長かった。

 

ぼくは自分が統合失調症を発症した時期を特定できると信じこんでいた。2010年の2月の中頃だったと思う。なぜ自分は統合失調症を発症したと考えたのか。それは自分を動かしていた何かの存在を感じることができなくなったからだ。その当時の自分の理屈でいえば、正常な人間、あるいは統合失調症でない神経症の人間は、何か自分を動かす存在を感じることができる。

 

その当時は、正常な状態にあっては無意識を感じることはない、そこから一歩病的な状態に進んで神経症になると、無意識を感じることができるようになる、そしてそこからさらに病気が進んで統合失調症になると、無意識を感じることができなくなる、と考えていた。

 

その当時は、統合失調症とそうでない人との違いは、無意識が豊かに働いているかどうかの違いだと考えていた。ぼくの場合、少しドラムの即興演奏をやっていたから、無意識が自分を動かす、というようなことがとても自分にとって大事だと考えていた。

 

でも歳月が経ち、いろいろと自分のおかしさに気づくことができるようになってきた。そもそも、統合失調症を発症する前から、演奏はできなくなっていた。つまり無意識の存在を強く感じていた時期、すでに演奏はできなくなっていた。

 

つまり、病識がなかった。その当時、他の世界との接触を感じていて、自分が生きているのはこの世界においてではなく、他の世界においてあらゆる物事が起こっているのだ、他の世界は目で見ることができない、心眼のようなもの、翻されたる眼でもってしか見ることができないのだ、と考えていた。

 

その当時、自分の考えていることはすでに周りの人に理解されなくなっていた。理解されないということに不満を覚えていた。自分は人間とつながりたいのに、自分の思っていることだとか見ているものについて話そうとしても、誰にも理解されない。それで自分は演奏を通してしか自分の思っていることを他人に伝えることができないのだと思った。演奏は上手くいったときもあったし、失敗したときもあった。でも、演奏はできなくなっていたと言っていいと思う。演奏はまとまりを欠き、支離滅裂なものになっていた。

 

つまり言葉を通じても他人とコミュニケートすることができなかったし、演奏を通じてもコミュニケートできなかった。

 

実際に統合失調症を発症したのは、2010年の2月よりももっと前、おそらくは2007年ごろには発症していたのだと思う。

 

精神病理学の本を読み、自分を客観的に理解している気になっていた時期が長かった。自分の妄想を自覚することは、病識を持つことは、難しい。自分は妄想のないタイプの統合失調症だろうと考えていた。でも自分の見たいものを見ていただけだ。自分のその理屈にとって不都合なことを見ないようにしていた。見たくないものはなかったことにして、見たいものだけを見ていた。