父の思い出

父の思い出

父に関することを思い出しながら

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子供の頃の誕生日のケーキはとても楽しみなものだ


我が家は4人家族だったのだが、

父と私と妹の誕生日が同じ月で、

3人分をまとめられてしまい

ケーキが1つしか食べられなかった


ケーキは決まって

不二家のイチゴショートケーキ

たまにはチョコクリームが食べたいとなっても

父が生クリームしか受け付けないという理由で

却下された


おまけに母の誕生日が1月だったため、

クリスマスと一緒にされたこともしばしばだった


でも、その分ケーキはとても美味しかった





食卓にはキリンビールとちょっとしたつまみが

19時くらに並ぶ


印象深いつまみは「きんぴら」

ゴボウとニンジンのごくシンプルなやつ


青い小鉢に盛り付けられて

父はそれに七味唐辛子を振りかけて食べる。


今となっては私も好物なのだが、

小学生当時は野菜嫌いで

ゴマ油のにおいがやけに美味しそうだなぁと思いながらも

それをつまませてもらうことはなかった。


我が家では

食事中テレビ禁止!!

のようなルールはなかったので

みんなでテレビを見ながら食事をしていた。


特に絶対的なチャンネル権が

父にあったわけじゃない気がする。



キリンの瓶ビール2本


これが我が家の夕食の風景だった


どうしてアサヒやサントりーやサッポロ

ではなくキリンなのか・・・


確か一番のど越しがいいからみたいなことを

聞いたことがあるような気がするが、

父が若い頃にどこかでキリンは美味いってイメージが

植え付けられたのではないか


外食の時には必ず瓶ビールを注文し、

キリンではない銘柄のビールが運ばれてくると

「キリンないの?」と不満げに言っていた


「生憎ウチにはサッポロしか置いてないもんで」

なんて返答されると仕方なしに別の銘柄を飲んでいた


あんまりキリンキリンとうるさいので、

いくつかの銘柄のビールをコップに入れて飲み比べしたら、

見事キリンを当てられるのかと子供心に思っていた


父の横には茶色い瓶ビール


仏壇の横には、生前父と酒屋にケースで買いに行き、

飲み終えることができなかった最後の1本が置かれている

「キリンラガービール」だ



父の好きな食べ物って何だったろうと考えると、

現在の自分にほぼ重なる

少し違うのは野菜類をあまり食べなかったことくらいだろうか


具体的には肉類、乳製品など

2人で食事に行くことなんてほとんどなかったが、

ほぼ近所の大衆食堂かラーメン屋だった


その大衆食堂は『春日飯店』という名で、

大の巨人ファンの主人夫婦がやっていた

もちろん14型の油まみれのブラウン管テレビからは巨人戦の中継が流れていた

周辺の工場の作業員か長距離トラックの運転手が主な客だ


店では決まって

『ニンニクラーメン』を2つと

『餃子』1人前

『レバニラ炒め定食』のおかずだけ(レバニラ炒めだけ)1つ

を注文し、そして黙々と食べた


大学生~社会人となり、東京や北海道のいわゆる人気店を

それなりに食べ歩いてみても

『ニンニクラーメン』は確かに化学調味料の味もするのだが、

懐かしく美味しく思える

それは当時の記憶が重なるからだろうか







父が亡くなって7年、父との記憶が薄れ始めている昨今、

自分が幼かった頃からの出来事をつれづれに書き留めてみたいと思いました


ひとつ言えることは記憶はだんだん丸くなるってことです