Y先生が急逝されてしまった後も、

閉院することなく、突如 奥様が

経営者となり(恐らくですが)、

Yクリニックは存続をすることになります。

 

院長に就任した医師ですら、なかなか

定着しませんでしたが、日替わりでバイト

的に雇われた医師も、直ぐに辞めてしまう

人ばかりでしたので、この間に少なくても

10人位の精神科医と対面することに

なったのでした。

 

これだけの数の医師と会っていると、

ものすご~く嫌な人も居たり、

当たり障りない人だったりと、色々な

医師が居ました。

 

母本人は行かないので、夢子が代理で

診察を受け続けていましたが、

Y先生が最後に処方した薬を

出し続けてもらった感じになりますが、

途中、夢子の一存で、少し減薬をして

もらいました。

 

本当は、本人が受診しないで薬を処方

するのは駄目なのですが(今は特に)、

ひきこもりの母を別の病院に連れて行く

ことも出来ないので、何となく許して

もらっていました。

 

最終的には、女医さんに割と長く

担当してもらいましたが、

なかなか話がかみ合わないというか。。

そこそこ良い医師ではあったとは思います。

 

隣の怒鳴る男問題の話をしたりすると、

「他にも、誰か人が噂をしていると

感じたり、変な音が聴こえたりしない?」

などと言われて、勝手に、違う病気に

持っていきたい模様で困りました★

 

Y先生亡き後、約8年間通い続けたの

ですが、母本人が受診をしていない中、

高齢となっているので、Yクリニックの

医師より、「もうこちらでは診ることは

出来ないので、訪問診察なり何なり、

ご自分で探してください」と言われて

しまい、見捨てられた気分になりました。

 

まぁ、冷静に考えると、それは仕方が

ないことなので、次のクリニックが

決まる前に、Yクリニックへの通院は

終えたのでした。この辺でも、イザコザ

となってしまい、最後にY先生の奥様に

挨拶をしたかったのですが、無視をされて

しまい、とても悲しい気持ちになりました。

 

夢子については、そのまま通院しても

良いと言われたのですが、

もう、‘うんざり‘になり、夢子も

Yクリニックとは縁を切りました。

 

その際、診断書と紹介状を書いてもらった

のですが、その後、2年位は違う心療内科

にも行かなかったので、封は開けていません

でした。何て書いてあるんだろう?と思い、

開封してみたら、‘不安抑うつ障害‘という

傷病名が記されており、病名があったのか!

と驚いた夢子。それまでな、特に病名は

無いと思っていたので!!

 

デパスが無いと寝られないので、

どうしたかと言いますと、別件で内科などを

受診した際に、何とか処方してもらって

凌いでいたのです。皮膚科でデパスを

処方してもらったこともあります。

 

母の方は、知り合い経由で、精神科医では

ないですが、訪問医の先生を紹介して頂き、

今に至ります。現在87歳ですが、パキシルの

5ミリを夜1個・デパス0.5ミリを1個は

服用し続けています。

 

夢子はYクリニックに通院していた際、

臨床心理士さんのカウンセリングを

4回まで受けたことがありますが、

イマ一つでした・・・。

またその事についても書いてみます。

 

Yクリニックには、本当にお世話になり

ました。Y先生が開いたクリニックですが、

先生の他界により、Y先生が理想とする

心療内科からは、大きくかけ離れて

しまったのではないでしょうか。

 

ですが、Y先生の頃よりも遥かに、

儲かっているような感じで、

Y先生を想うと、ちょっと胸が痛い★

それでも、天国のY先生は、クリニックが

存続していることを喜んでいるのかな!?

 

兎に角、Y先生は、本当に素晴らしい

医師でありましたし、温かみのある

人間性の方でしたので、夢子は本当に

大好きでした☆彡