①をザックリとまとめると、母の代理で

診察を受けていたところ、‘自分が辛い‘

という話ばかりしていたことを精神科医が

気付いてしまい、夢子も患者になりました。

 

Y先生が自分のクリニックを開院した当初、

一人一人を丁寧に診察したいので、

一人30分の時間を取っておいででした。

 

ところが、患者さんが増えてくると、

いくら良い先生とはいえ、どんどん診察の

時間が短くなっていき、夢子は自棄を起こし、

先生に、「母と2人分で何分で終わらせたい

ですか?」と尋ねてしまったり。

 

すると、「2人で15分にして欲しい」と

言われてしまい、結構ショックでした。

(当初は、1人30分だったので)

 

2人で15分なので、自分の話をメインに

していました。

母の薬の処方に関しては、夢子が伝えた

内容を元にして。 高齢になっても

いたので、なるべく軽めの処方を

お願いしていました。

 

①にも書きましたが、大好きなY先生が、

東日本大震災と原発事故があった年の

3月に急逝されていたのでした・・・

 

夢子は、2月にも診察を受けており、

その際、先生に特に変わったところは

ありませんでした。

 

3月の診察は、3.11の4日後の15日に

予約をしており、時間通りにはクリニックに

着けそうになく、その電話をしたところ、

先生が少し前に急逝された話をされて、

何が何だか、理解が出来ませんでした。

 

兎にも角にもと、どうにかクリニックに

たどり着いたのですが、本当に、

Y先生が亡くなられていたのでした・・・。

 

余りの悲しさと、東日本大震災の怖さが

合い間って、本当に、絶望的な気持ちに

なりました。

 

それでも、母の薬を貰わない訳には

行かないので、急遽 代理で来ていた

医師の診察を受けました。

 

Y先生が自分のクリニックを開院して3年。

61歳という若さで他界されてしまい、

この経験もまた、その後の夢子のメンタルに、

すごく影響を及ぼしています。

 

医者の方が先に死んじゃうことがあるんだ

という事を知ってしまいましたから。

 

あんなにも素晴らしい先生が、何で

志半ばで亡くならなくてはならなかったのか。

自殺未遂をした母は生きているのに・・・

と、何度も何度も思いました。

 

2011年の3月は、本当にキツかったです。

(誰もがキツかったでしょうが。。)

 

あれほど素晴らしい精神科医は、Y先生

だけなのではないかなぁ・・・と、

2024年の今でもそう思っています。

 

しかし、デパスを処方しないでくれれば、

夢子がデパスを飲む人にはならなかったん

だけどな~・・・という点はあります★

 

とはいえ、ベテランのY先生が必要だと

感じたので処方したのでしょうから。

 

ちなみに、途中から診察にも行かなくなった

とはいえ、母もY先生のことが好きでした。

 

Y先生には感謝の気持ちしかありませんので、

「ありがとうございました」の気持ちが

天国に届くといいな☆彡

 

しかし、その後も存続をしたYクリニックに

通い続けましたが、色々ありすぎて、

本当に大変だったのですが、それはまた

③として書きますね。