書名:平安ガールフレンズ
著者:酒井順子

酒井順子さんによる、平安時代の女流作家5人について語ったエッセイ本。
もっとも、当時は女流作家という概念はなかったと思われる。

・清少納言 「枕草子」
・紫式部 「源氏物語」
・藤原道綱母 「蜻蛉日記」
・菅原孝標女 「更級日記」
・和泉式部 「和泉式部日記」

酒井さんの本は昔よく読んでいて、今回久しぶりに読んでみた。今も変わらず読みやすくすらすらと読了。
友達になるなら誰?彼女たちがSNSをやっていたら?などの現代的視点が面白かった。

 

 

【以下ネタバレ含みます】

 


私は以前、平安時代の作品とそれらを元にしたお話が好きだった時期があり、上記の5名様に関係するものだと

「むかし・あけぼの(小説版枕草子。著:田辺聖子)」
「和泉式部日記(現代語訳)」
「新源氏物語(著:田辺聖子)」
「あさきゆめみし(作・画:大和和紀)」
「女人源氏物語(著:瀬戸内寂聴)」

等、小説やエッセイを色々読んだものである。
「更級日記」や「蜻蛉日記」は大体の内容は知っていても全部を通して読んだことがないので、機会を作って読んでみたい。

●清少納言と紫式部
酒井順子さんは清少納言が一番お気に入りらしい。
「枕草子」では女主人(定子中宮)や貴公子たちとのウィットに富んだやりとり等がいきいきと描かれているが、清少納言の性格は何というか…毒舌で悪気なく上から目線。
「地方からの便りに贈り物が添えられてないのは良くない。京からの便りは土産なんかなくてもそれだけで価値あるものだからいいの」「不細工なカップルが堂々といちゃついているのがムカつく」「身分低い人の家には風情のある光景(雪が降ったり月明かりが差したり)なんて必要ない」的な内容をあっけらかんと書いていたり、気が利かない男性をからかって面白がったり。現代なら炎上しかねない率直な本音が満載である。

清少納言は紫式部の夫(藤原宣孝)を「場違いな派手な格好で参詣した変わり者」と揶揄したこともある。これを紫式部は読んでいたためか、彼女たちの立場も影響してか紫式部は清少納言を容赦なくこき下ろしている(清少納言が仕えていた定子皇后、紫式部が仕えていた彰子中宮はそれぞれ一条天皇の妻であり、一時期は一人の帝に正妻が二人という前代未聞の状況にあった。ただし出仕していた時期がかぶらないため直接面識はないと思われる)。「清少納言は女なのにかっこつけて漢字を書いたりしてるけど、よく見たら間違ってる」「あんな人間の行く末はろくなものではない」
清少納言と比較すると紫式部は万事控えめで、女性ばかりの職場で自分が浮かないように気をつけているようだが、それでいてとってもプライドが高くて内に承認欲求を秘めていたように思える。

●菅原孝標女
私個人では、仲良くなれそうなのは菅原孝標女だと思った。
現代で言うところのオタクな女の子で、物語を読んでいられたら他に何もいらない。本当は働きたくなんかないけどちょっと女房勤めをしては、気疲れして早々辞めて帰ってきたりするところがリアル。「いつかは私も源氏物語の夕顔や浮舟のような恋ができるかも」と夢見ていた女の子が次第に現実と折り合っていくところは現代にも通じる気がした。彼女が夕顔や浮舟といった身分的に近い女性について夢見ているのも、夢見る中にも現実的な部分があるなと思えた。

●和泉式部
奔放な恋に生きた(ように周りから見える)和泉式部は、夫がありながら帝の皇子と付き合って夫とは離婚・皇子の死後にその弟の皇子とも恋仲になるも、また皇子と死別・更に別の男性と再婚…という波乱万丈な女性。当時も後でも色々言われただろうけど、それでも私は彼女が嫌いじゃないしどこか羨ましく思う。モテるもののその相手が次々亡くなってしまう、というのは辛いし怖いけど。

●藤原道綱母
「蜻蛉日記」の藤原道綱母は…当時の貴族女性の生活スタイル(家族以外には殆ど顔を見せず、一日中屋敷の御簾の中で過ごす)ではこうなるのも仕方ないかもしれないが、思い通りにならない夫への思いをこじらせて恨みをため込んでるイメージ。彼女が神経質で悩みがちなのとは対照的に、夫の兼家公は細かい事を気にしなさそうでそういうところが彼女からしたらデリカシーなく思えたのだろう。外に出て気分転換をしたり、友達と会っておしゃべりしたり、が簡単にできる環境だったらここまでストレスをためずに済んだのかな。

●まとめ
とはいえその時代に生きている女性たちがみんな自分を不幸と思っていたのか、というとまた違う気がする。現代とは生きづらさの種類が違うものの、当時の女性達も愚痴を吐きつつそれぞれの人生を生きてたはず。

それにしても…5人とも約1000年後の時代で自分の書いたものが読まれるとは想像もしてなかっただろうなあ。